初期・ROHでのキャリア
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「ブライアン・ダニエルソン」の記事における「初期・ROHでのキャリア」の解説
ショーン・マイケルズ主宰のテキサス・レスリング・アカデミー(Texas Wrestling Academy)でトレーニングを積んだ後、1999年4月18日に同アカデミーが運営するインディー団体TWA(Texas Wrestling Alliance)にてデビュー。同年12月、覆面レスラーのアメリカン・ドラゴンとしてFMWに初来日。その後、WWF(現:WWE)とのデベロップメント契約を経て、新日本プロレスLA道場でトレーニングを積んだ。 2002年10月、新日本LA道場軍として新日本プロレスに初参戦、2004年3月にはカレーマンとのタッグチームでIWGPジュニアタッグ王座を獲得した。 2006年12月、ROH世界ヘビー級王者としてプロレスリング・ノアに来日。2008年9月14日、金丸義信を破ってGHCジュニアヘビー級王座を奪取した。本国アメリカでは、ROHレスリング・スクールのコーチを務めながら、ROHのトップレスラーとして活躍し、プロレスリング・ノアのKENTAや丸藤正道とも対戦している。また、ノアのリングにはROHのリングでも使っている本名のブライアン・ダニエルソンのリングネームで上がった。
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