初代・大阪競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/03 00:51 UTC 版)
この戦後の大阪競馬場の前に戦前に大阪競馬場が存在した。この競馬場にはさらに前史があるので、最初の経過から述べる。 1927年に地方競馬規則が公布されて、大阪府内に2ヵ所の競馬開催が認められ、その1つが春木競馬であり、もう1つが大阪競馬である。競馬の主催団体として認可を受けた大阪府馬匹畜産組合が開催場所として最初に検討したのが現在の花園ラグビー場の付近であったが、しかし結局開催することが困難になったので、取りあえず当時の大阪市港区(現・大正区)の南恩加島の三角洲に仮設の馬場を設けて、1928年1月にわずか3日間開催したのが始まりである。しかし軟弱な地面で競馬に適していないとされて南恩加島はこの1回限りで終わり、翌1929年に大阪市東成区(現・城東区)の大阪城東陸軍練兵場に仮設の馬場を設けて春・秋の2回の計6日間行われた。 しかしあくまで常設が望ましく本格的な競馬場をということで当時の大阪府中河内郡八尾町大字萱振(現・八尾市緑ケ丘付近)に作られたのが、大阪競馬場である。敷地面積が48,000坪で1周1000mで幅員30mと記録されている。この競馬場で1930年7月4日に初めて開催されて以降1938年まで9年間合計69日間開催された。 しかし1938年に戦局が厳しくなる折りに、軍馬資源保護法の制定で当競馬場での開催が不可能となり、戦前の大阪競馬場の歴史はここで終わることとなった。
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