初代・山川町立図書館(1954-1979)
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「指宿市立図書館」の記事における「初代・山川町立図書館(1954-1979)」の解説
山川における図書館活動は、1954年(昭和29年)に山川町議事堂の下の一角で開設された山川町立図書館にさかのぼる。開館から間もなく、山川町役場新庁舎建設のために立ち退くこととなり、山川町立山川小学校(現・指宿市立山川小学校)の音楽室へ移転した。1957年(昭和32年)、元の敷地に復帰した。復帰当時の蔵書数は2,383冊であったが、自前の図書は1,633冊で残り750冊は鹿児島県立図書館の貸出文庫を借用していた。同年の貸出冊数は9,361冊で、当時盛んであった青年会読書活動、子供の読書会、主婦読書グループの3つの読書活動に支えられていた。このうち主婦読書グループは、旧来の農村的な考え方から周囲に冷たい視線を浴びせられることもあったというが、5年以上活動を続け、後に「親子読書20分間読書会」と合流した。 1964年(昭和39年)、開館から10年を迎えたものの、読書会など一部の人にしか図書館の存在が認知されていなかったことを受けて、『広報やまがわ』で図書館の紹介を行った。この紹介文によると、当時の図書館の蔵書数は3,640冊(県立図書館からの借用が1,100冊)で8時30分から17時まで開館し、貸し出しは1人1冊1週間以内であった。 1970年(昭和45年)、山川町社会教育課が旧山川小学校へ移転したのを機に、図書館もそこへ移転した。この図書館は教室と準備室を転用したもので、「倉庫型図書館」と形容された。利用者が図書館のある山川港周辺の住民に限られたことから、1977年(昭和52年)に自家用自動車を使った移動図書館を開始した。この「移動図書館」は木陰に本を並べ児童に読書をしてもらうというもので、貸出冊数が年間500冊増加しただけでなく、図書館の存在を町民全体に認知してもらうきっかけとなった。
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