初代・川崎競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:13 UTC 版)
現在の川崎競馬場の地に最初に競馬場ができたのは、1906年のことである。板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部によって競馬が開催された。ところが、1908年に政府が馬券発売禁止令を公布して馬券の発売を禁止したため、競馬を開催できなくなってしまった。実質的な開催日数はわずか15日だけであったという。 跡地には当時の川崎町長によって富士瓦斯紡績の工場が誘致され、1915年に操業を開始した。工場であった時代の1930年には、工場の労働争議を支援するため、煙突男が出現して世間の話題となった。 その後、1939年に工場は東京電気(現・東芝)に譲渡されたが、太平洋戦争中の空襲により焼失し、その跡地に戦後再び競馬場が復活することになった。
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