出生と洗礼活動
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『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという。同福音書においては、天使ガブリエルによってその誕生を予言されている。 『マタイによる福音書』3章によれば、ヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物」と記述されている。ヨルダン川河畔の荒野で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。 洗礼は当時すでに、改宗者をイスラエルの一員として受け入れる儀式の一部として行われ、異邦人の汚れからの清めを象徴するものとされていた。しかし、ヨハネは洗礼に新たな意味と緊急性を付与した。ヨハネは、ユダヤ人でさえも罪の汚れによって神の民と呼ばれる権利を失ってしまっていると考え、洗礼は悔い改めた者に対する神の赦しの確証と、新しいイスラエルの一員として受け入れられた確証とを意味する預言的しるしとしたのである。 西暦28年ころ、ナザレのイエスも彼の洗礼を受けた。彼はこの後、ヨハネによって創始された荒野での洗礼活動(荒野の誘惑)に入っている。なお、ヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、むしろ従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換すること、すなわち文字通りの「回心」であった。ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤ教の主流派が、過去において律法を守って倫理的な生活を送ってきたことを誇り、それを基準として律法を守らない人びと、あるいは貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを、穢らわしいものとして差別し、蔑む心のありようを罪と考えた。 『ルカによる福音書』3章5〜6節では、ヨハネの登場にあたり、イザヤ書40章4〜5節が引用され「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くなる。曲がった道はまっすぐに、でこぼの道は平らになり」と二重の並行句によって、イエスの先駆者としてその道を整えるヨハネの使命が示され、社会的不均衡の是正が示唆されている。これに続く「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」という引用句は、ルカの普遍的救済思想を示している。 なお、『ヨハネによる福音書』1章35節では、他の福音書でもイエスの最初の弟子としているシモン・ペトロとアンデレは、元は洗礼者ヨハネの弟子であったとしている。
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