出生と母の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 14:56 UTC 版)
「ドミトリー・パヴロヴィチ」の記事における「出生と母の死」の解説
1891年9月18日、モスクワ郊外のイリインスコエ村で、アレクサンドル2世の第6皇子パーヴェル大公とその妃、ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナの長男として生まれる。1歳上の姉マリア・パヴロヴナ(英語版)がいる。 母アレクサンドラはドミトリーを妊娠して7か月目の頃、友人たちとモスクワ川河岸を散歩していたところ、ボートが彼女に向かって突っ込み転倒した。翌日、舞踏会に出席したアレクサンドラは突然激痛に襲われ倒れ込み、数時間後にドミトリーを出産した。しかし、アレクサンドラは昏睡状態に陥り、母子は危険な状態となった。医師はドミトリーの生存を悲観視したが、セルゲイ大公がドミトリーを脱脂綿で包み、温めたゆりかごで彼の体温維持に努め一命を取り留めた。セルゲイはこの時のことを「私は喜んでドミトリーを抱き上げた」と日記に記している。しかし、アレクサンドラは昏睡状態のまま子癇前症で死去した。
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