出生と活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 04:19 UTC 版)
永禄8年(1565年)、土佐国の戦国大名・長宗我部元親の嫡男として誕生。母は元親の正室で足利義輝の家臣・石谷光政の娘(明智光秀の家臣・斎藤利三の異父妹)。 幼少時から聡明であったため父から寵愛され、天正3年(1575年)に元親が中島可之助を使者として織田信長と誼を通じたとき、信長を烏帽子親として信長の「信」を与えられ、「信親」を名乗る。このとき、信長から左文字の銘刀と名馬を与えられた。元親の思惑と信長の戦略が一致したもので、元親の外交の巧みさと、明智光秀の発信力があったことによる成果である。なお、2013年に発見された『石谷家文書』(林原美術館所蔵)に所収された元親から石谷頼辰(信親の生母の義兄にあたる)に充てられた書状の中でこの信親が一字を与えられた際に信長は荒木村重を攻めていたと書かれており、荒木村重の反乱が発生した天正6年(1578年)に比定する説もある。 その後は父に従って各地を転戦した。信長没後の天正13年(1585年)、長宗我部氏は豊臣秀吉の四国攻めに降伏し、豊臣政権配下で土佐一国を領する大名となる。
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