出生と湘東王時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:27 UTC 版)
「元帝 (南朝梁)」の記事における「出生と湘東王時代」の解説
天監7年(508年)8月、蕭繹は武帝と阮令嬴のあいだの子として生まれた。天監13年(514年)7月、湘東郡王に封じられた。寧遠将軍・会稽郡太守を初任とし、軽車将軍の号を受けた。 後に蕭繹は入朝して侍中・宣威将軍・丹陽尹となった。普通7年(526年)10月、西中郎将・荊州刺史として江陵に出向した。中大通4年(532年)9月、平西将軍の号を受けた。大同元年(535年)12月、安西将軍の号に進んだ。大同3年(537年)閏月、鎮西将軍の号に進んだ。大同5年(539年)7月、入朝して安右将軍・護軍将軍となり、領石頭戍事を兼ねた。大同6年(540年)12月、鎮南将軍・江州刺史として尋陽に出向した。大同8年(542年)2月、安成郡の劉敬躬の反乱に対して、蕭繹は曹子郢を派遣して対応させた。3月、反乱を鎮圧し、劉敬躬を都の建康に送った。太清元年(547年)1月、蕭繹はまた鎮西将軍・荊州刺史となり、再び江陵に下った。
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