冷蔵車を使用した鮮魚輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 18:16 UTC 版)
「鮮魚貨物列車」の記事における「冷蔵車を使用した鮮魚輸送」の解説
1908年に日本で最初の冷蔵車であるレ1形が登場し、冷蔵鮮魚輸送が始められた。下関 - 新橋、青森 - 上野間などで輸送が行われ、好成績により荷主の間で冷蔵車使用権が奪い合いになるほどであった。冷蔵車は主に漁港の近くの駅に常備され、大都市の市場に隣接して設置された市場駅(東京市場駅、大阪市場駅など)まで輸送が行われていた。 1927年(昭和2年)12月15日には下関 - 京都(梅小路)間に「貨物特別急行列車」(鮮魚貨物列車)(第154列車)の運転が開始された。丹那トンネルと岩徳線の開通を受けた1934年(昭和9年)12月のダイヤ改正では、下関と汐留を48時間40分で結ぶ鮮魚貨物列車(第58列車)を始め、数多くの鮮魚列車が運転されるようになった。東北方面から東京へ鮮魚輸送する列車の中には、深夜に運行されていない電車線を利用して東京駅を通過して市場へ急ぐものまで存在していた。 現代の冷蔵トラックでは機械式の冷凍機を用いて輸送品の冷却を行うが、鉄道の冷蔵車には動力を用いた冷凍機は装備されず、車両が断熱構造となっているだけだった。輸送品は氷で冷却され、木製、後には発泡スチロール製の箱に魚と砕いた氷を一緒に入れる「抱き氷」と呼ばれる方法が用いられていた。 また、市場の相場に応じて列車の走行中に冷蔵車の着駅を変更する「着駅変更」や、市場駅に到着した後相場が上がるまで側線に冷蔵車を留置したまま魚を保管しておく「着駅留置」といった柔軟な輸送が頻繁に行われていた。これは荷主にとっては非常に便利なものであったが、列車の運行計画・車両の運用計画が立てづらく、輸送当局にとっては悩みの種であった。鮮魚発送量の首位は多くの時代を通じて下関駅で、下関からの荷主は林兼商店(大洋漁業を経て現在のマルハニチロ)が多かった。このため、毎日山陽本線を行き先不明、着荷主不明の冷蔵車が走り回っていた。
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