写真家としての事績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 07:03 UTC 版)
大阪府泉北郡浜寺町(現在の堺市西区)諏訪ノ森駅前の本宅に基督教史料・写真史料を集めた「上田文庫」を構えていたが、その旧収蔵品は大阪市立大学に貸出されて委託管理されており、「上田貞治郎写真史料アーカイブ」として研究が進められている。 アーカイブは、日本統治時代の朝鮮を含む大日本帝国各地の景観写真史料約1800点から成る「上田貞治郎日本全国名所写真帖コレクション」(上田以外の撮影者による写真多数を含む)、「上田貞治郎撮影 都市大阪ネガフィルムアルバム1927-1928」、「梅田界隈都市写真シリーズ 1935」、「上田家家族及名士写真帖」(明治20年代)、「丹生喬翠作品アルバム」、「明治四十三年 朝鮮巡遊及朝鮮各地第三」などのアルバムのほか、日記、覚書・書類、実逓絵葉書史料、写真関係の書籍・雑誌に加え、ネガフィルム、プリント、硝子乾板等の写真史料から成っており、その一部は「上田貞治郎写真コレクション」としてネット上で公開されている。 上田は、「20世紀初期写真業界の領袖」と評される人物であり、写真業界の様々な要職を歴任した。1906年に日露戦争の勝利を記念して大阪で戦捷記念博覧会が開催された際、美術及美術工芸の展示に写真部門が含まれ、上田は小田垣哲次郎、桑田正三郎とともにその常務委員を務め、後には大阪写真材料商組合組長なども務めた。 緒川直人は、上田が編集した写真アルバムについて、マーク・クレット (Mark Klett) らの再撮影プロジェクト (The Rephotographic Survey Project) に先んじる先駆的な試みであったと評している。
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