再移住の模索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:04 UTC 版)
6日包囲作戦の後、ジョーンズはもはやガイアナを信頼できるなどとは思っていなかった。ジョーンズは信者達に、10を超える海外政府に対して、人民寺院信者の移住に関係する移民規定について問い合わせ文書を書かせた。ジョーンズは更に、アメリカ合衆国政府に対して、北朝鮮と中ア対立の最中にあったアルバニアについて問い合わせを行う文書を書いている。ジョージタウンでは、人民寺院とソビエト連邦、北朝鮮、ユーゴスラビア、キューバの各大使館とで定期的に会議を行っている。ソビエト大使館との交渉においては、ソビエト連邦への再移住の様な広範囲な議論が行われていた。人民寺院側は、ソビエト連邦内で人民寺院信者が定住することの可能な場所を議論する提案書も作成している。シャロン・エイモス、マイケル・プロークス、マシュー・ブラント、ティモシー・リーガン、そして他の人民寺院信者達は、「ガイアナ・朝鮮友好協会」 (英語: Guyana-Korea Friendship Society)において活発に活動を行った。その中には、金日成の革命構想に関する2つのセミナーのスポンサーとしての活動も含まれる。 1978年10月2日、ソビエト連邦高官のフョードル・ティモフェイェフ(ロシア語: Фёдор Тимофеев, ラテン文字転写: Fyodor Timofeyev)がジョーンズタウンに2日間滞在し、スピーチも行った。ジョーンズは、ティモフェイェフのスピーチの前に次のように述べている。「何年にもわたって、我々は非常に強いシンパシーを表明してきた。要するに、アメリカ合衆国政府は我々の母ではなく、ソビエト連邦こそが我々の精神的母国なのだ。」ティモフェイェフはスピーチの中で、ソビエト連邦政府は「我々の最も深く、最も誠実な挨拶を、ガイアナで初めて、そして世界中で初めての、アメリカ合衆国の社会主義・共産主義コミュニティの人々に贈る」と述べた。これら二つのスピーチは、ジョーンズタウンの群衆からの歓声と拍手喝采に迎えられた。この来訪の後、人民寺院の信者達は、ほぼ毎週のようにティモフェイェフとソビエトへの再移住の可能性について議論するようになった。
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