八田 (いの町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/04 03:43 UTC 版)
八田
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国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
人口 | |
• 合計 | 731人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
781-2124
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八田(はた)は、高知県吾川郡いの町の大字。2010年10月1日現在の人口は731人[1]。郵便番号は781-2124。本項ではかつて同区域に存在した八田村(はたむら)についても記す。
地理
いの町の南端、仁淀川の左岸にあたる。北で池ノ内・天王北・天王南および大字なしの区域、西で大内および土佐市高岡町、南東で高知市春野町弘岡上・春野町弘岡中に接する。仁淀川沿いを高知県道36号高知南環状線が南北に縦断し、東西を高知県道38号高知土佐線が横断する。南部を高知自動車道が東西に通過する。北に甫木山、南に吉良ヶ峰がそびえる。
山岳
- 甫木山
- 吉良ヶ峰
河川
歴史
はたむら 八田村 |
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廃止日 | 1954年3月1日 |
廃止理由 | 新設合併 吾川郡伊野町、八田村、土佐郡宇治村、高岡郡川内村 → 吾川郡伊野町 |
現在の自治体 | いの町 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 高知県 |
郡 | 吾川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 1,478人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 吾川郡伊野町、弘岡上ノ村、弘岡中ノ村 土佐郡宇治村 高岡郡高岡町、川内村 |
八田村役場 | |
所在地 | 高知県吾川郡八田村 |
座標 | 北緯33度31分10.9秒 東経133度26分11.4秒 / 北緯33.519694度 東経133.436500度 |
ウィキプロジェクト |
- 幕末 - 吾川郡八田村が存在。「旧高旧領取調帳」の記載によると高知藩領。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により高知県の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の八田村が単独で自治体を形成。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 八田村が弘岡上ノ村の一部(字荒倉北平4308番23から同番43)、弘岡中ノ村の一部(字北平2781番26)、土佐郡宇治村の一部(大字池ノ内字木ヤガ谷1690番70)を編入。
- 1954年(昭和29年)3月1日 - 八田村が吾川郡伊野町・土佐郡宇治村・高岡郡川内村と合併し、改めて吾川郡伊野町が発足。同町八田となる。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 伊野町が吾北村・土佐郡本川村と合併していの町が発足。同町八田となる。
交通
バス
- S2 - X4:長浜 - 横浜 - 桟橋通五丁目 - 南はりまや橋 - 上町五丁目 - 土佐道路 - 針木 - 天王ニュータウン - 八田
- T3 - Y3:南ニュータウン一丁目 - 横浜ニュータウン第一 - 横浜 - 桟橋通五丁目 - 南はりまや橋 - 上町五丁目 - 鏡川橋 - 朝倉駅前 - 針木 - 天王ニュータウン - 八田
- いの町営バス
- 池ノ内・天王まわり
- 波川まわり
- 土佐市ドラゴンバス
- 宇佐・伊野線
道路
- 高知自動車道
- 高知県道36号高知南環状線
- 高知県道38号高知土佐線
施設
- いの町立伊野南中学校
- いの町立伊野南小学校
- 八田郵便局
- 八田保育所
- 高知県立青少年体育館
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 39 高知県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
「八田 (いの町)」の例文・使い方・用例・文例
- 八田さんは土木技師で,今でも台湾でとても有名な人物です。
- 八田さんは台湾の南西部にある嘉(か)南(なん)平野での灌(かん)漑(がい)建設工事のプロジェクトを担当していました。
- 後に,八田さんは彼らの栄誉をたたえるために慰霊碑を建てました。
- 1942年,灌漑調査のためフィリピンに向かう途中,八田さんの船がアメリカの潜水艦によって沈められ,彼は亡くなりました。
- 3年後,第二次世界大戦が終わり,八田さんの妻,外(と)代(よ)樹(き)さんは日本に戻るよう命じられました。
- これは烏山頭水庫の近くにある八田與一記念公園内に復元された八田邸です。
- 八田さんは,労働者や彼らの家族のために宿舎,病院,学校やテニスコートを作りました。
- 八田さんは今でもここ台湾で多くの人々に愛され,尊敬されています。
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