八王寺 (神戸市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 八王寺 (神戸市)の意味・解説 

八王寺 (神戸市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/05 16:27 UTC 版)

八王寺
所在地

兵庫県神戸市兵庫区羽坂通2-1

北緯34度40分15.5秒 東経135度10分1.5秒 / 北緯34.670972度 東経135.167083度 / 34.670972; 135.167083
山号 延喜山般若林
宗旨 禅宗
宗派 曹洞宗
開山 覺巖和尚
正式名 延喜山般若林八王寺
別称 福昌寺(旧称)
剣道のお寺
札所等 福原西国三十三観音霊場第22番札所 
法人番号 7140005000438
テンプレートを表示

八王寺(はちおうじ)は、兵庫県神戸市兵庫区羽坂通にある曹洞宗の仏教寺院

歴史

開山覚巌和尚が明石の晴雲寺からたびたび兵庫に来て、「文才縦横、手は覚巌、坐禅も少々可也、こんな雲水一匹要らんか」という幟をかかげて托鉢。

  • 天保10年(1839)、能福寺所有の八王子社の一隅を借りて草庵を営み、般若林と称し、雲水を薫育した。
  • 慶応3年(1867年)12月、兵庫随一の巨商北風家の別家、喜多二平翁の寄進により、山田村(北区山田町原野)の正定山成道寺末寺・無住の福昌寺を移すという形で建立し、福昌寺と称した。
  • 2世柏巖の代に宗風興振し、明治元年(1868年)には有栖川宮家祈願所となる。
  • 大正9年(1920年)火災により国宝普賢菩薩文殊菩薩及び本尊千手観音像を失う。
  • 大正13年(1924年大和法隆寺中宮寺より、大楠公守本尊十一面観世音像を請じて札所の本尊とした。戦災前までは、平野の祥福寺とともに禅林の大道場として知られていた。
  • 昭和20年(1945年)3月、戦火に遭い、本尊及び諸堂が灰燼に帰した。
  • 昭和27年(1952年)福昌寺を八王寺と改める。
  • 昭和33年(1958年)5月再建し、九善石油(現コスモ石油)の和田完二社長・まき子夫婦秘蔵の「十一面観世音菩薩尊像」を勧請して本尊とした。
  • 昭和56年(1981年)11月、パゴダ風仏舎利塔建立。
  • 昭和44年(1969年)1月、青少年教化研修センター般若林道場を開設、後建替え、通称「剣道のお寺」として親しまれている。

交通

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八王寺 (神戸市)」の関連用語

八王寺 (神戸市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八王寺 (神戸市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八王寺 (神戸市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS