信頼できない記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:51 UTC 版)
「アイザック・ニュートン」の記事における「信頼できない記述」の解説
時代が下がるにつれて、様々な尾ひれが付くようになり、信頼できない記述となっていった。例えば、オイラー(1760年)とアイザック・ディズレーリ(1791年)は、リンゴがニュートンの頭に当たったと何の根拠もなく書いている。ディズレーリのこの根拠のない記述は、ボルトン・コーニー(en:Bolton Corney)、オーガスタス・ド・モルガンによって批判されている。 天文学者でもあったトーマス・チャーマーズ師は、「リンゴがニュートンの足元に落ちた」と書いた。この形のものも同じように流布したが、細かいことだったので文句は出なかった。 数学者のカール・フリードリヒ・ガウスは、勝手に尾ひれを加えて次のように書いている。「りんごの話は単純すぎる。そのりんごが落ちようが、落ちまいが、そんな発見がそれで遅れたり、早くなったりすると思い込むのは別にかまわないが、真相はこんなところだろう。ある馬鹿で押しの強い男がニュートンを訪ね、偉大な発見にどうやってたどり着いたかを聞いた。そのときニュートンは子供じみた相手と向かい合っていることに気付き、追っ払いたいと思って、りんごが一つ鼻に落ちてきたのだと答えた。相手がそれですっかり教わったと満足して立ち去ってくれそうなことを答えたのだ。」 ニュートンが万有引力の法則を思いついたきっかけが一体何だったかという点については、現代ではニュートン自身の主張や伝説は脇に置いておいてさまざまな検証・推察がなされていて、いくつかの説がある。ひとつは友人のロバート・フックがきっかけになっているとする説であり、ほかには、それ以前にも、この時代のイギリスの自然哲学者たちが影響を受けたケプラーの説(ケプラーの法則)を受けているとする分析もある。物が落ちる現象、つまり物体が地球に引きつけられる現象であれば、以前から誰もが知っていて、それに関する説は古代ギリシアのアリストテレスも自説を唱えていた。この時代のイギリスでは、ニュートンに限らず同時代の自然哲学者たち幾人もが先人のケプラーやガリレオの説にヒントを得て、それを一般化・改良しようと試行錯誤を始めていたらしい。1665年にカレッジを卒業し、バチェラー(Bachelor of Arts; 学士)の学位を得た。
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