信号場跡とは? わかりやすく解説

信号場跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/22 02:43 UTC 版)

敷島紡信号場」の記事における「信号場跡」の解説

2007年平成19年9月時点では、当信号場跡附近からの線路跡富山県道196号笹津停車場線となっていた。2008年平成20年時点2009年平成21年11月時点でも同様、2車線の道路であったこの道路は地鉄笹津駅附近まで続いていた。

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信号場跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 14:56 UTC 版)

東留萠信号場」の記事における「信号場跡」の解説

信号場廃止後は羽幌線廃止まで留萠駅構内羽幌線操車線群へ留萠本線側から構内渡り線使用せず深川方と直接往来できるよう、当信号場西側端に当たる位置分岐設けられた。この構内渡り線バイパスする線は、元々戦時中現在の東雲町1丁目から2丁目にかけて建設され軍需工場北海道人造石油留萌工場への専用線送り線だったものを再利用して留萠本線接続したもの。この専用線送り線は留萠駅構内から留萌川渡って信号場西端付近まで本線北側並走した後、少し北側膨らみながら築堤の高度を上げて信号場東側端に当たる位置、丁度、現・国232号が跨線している場所で留萠本線を跨線し、工場敷地脇へ敷かれ専用線本線並走しながら築堤の高度を下げて合流した。また専用線本線からは留萠駅方へスイッチバック状に戻る戻り線があり、留萠本線南側の少し離れた位置並走して旧信号場西端より手前留萠本線合流していた。専用線本線からは東側90°カーブする2本が現・留萌市立病院辺りにあった工場へ、戻り線からは西側90°カーブする1本が現・北海道留萌土木現業辺りにあった工場付帯何らかの施設留萌研究所?)へ分岐していた。戦後間もなく工場と共にこれらの専用線も、僅かに頭書部分残して撤去された。

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