例祭「神谷太刀宮祭り」
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「神谷太刀宮神社」の記事における「例祭「神谷太刀宮祭り」」の解説
代表的な祭礼行事に、「神谷太刀宮祭り」または「久美浜一区の秋祭り」と称する秋の氏神祭がある。江戸時代以前には2日間にわたって2台の神輿が出て、神輿のほかには太鼓台と囃子屋台が出て屋台狂言を演じた。 明治時代になると、久美浜の全町が車輪付きの太鼓台を出すようになり、次第に太鼓台同士を激しくぶつけ合い、勝負がつくまで激しく太鼓を打ち合う喧嘩祭の様相を呈した。1912年(明治45年)、ついに見物客から死傷者が出る事故があり、太鼓台は10年間の出動停止処分を受けた。この処分は、町民らの嘆願によって1920年(大正9年)に解かれ、翌1921年(大正10年)以降は氏神例祭である10月17日を本祭とし、新調された太鼓台からは車輪が省かれ、神輿のように担ぐものとなった。祭礼再開のために新調された太鼓台は、「神楽山」「美城山」などの5基であり、太鼓台のほかに神輿も町内を巡行する。神輿や各太鼓台は青年団によって町内を巡行するほか、神谷太刀宮神社境内で「先高(さきだか)」や「空のせ」などの技を披露し、奉納とする。 本祭の前夜には、太陽に見立てた赤い提灯をつけた日和神楽(ひよりかぐら)が、子どもらを先頭に町内を練り歩く。 この祭日は、2000年(平成12年)以降は10月の第2日曜日に移行した。
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