佐土原土人形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 07:26 UTC 版)
京都の伏見人形は全国に類型の土人形の原型となったが、宮崎県の佐土原には、江戸時代から佐土原土人形が製作されていた。佐土原初代領主は伏見で亡くなり、伏見には屋敷もあり京都との関係があった。しかし、それとは別に、佐土原土人形は朝鮮伝来説も強い。即ち島津が陶工を連れてきて、高麗町(コレマチ)に住まわせたとある。 記録されている最も古い佐土原人形:人形に墨書されたのがあり「寛政八年」(1796年)とある。 代表的な佐土原人形:饅頭食い人形は幼児が饅頭を割った両面を表しており、父母のどちらかが好きかと問われ、饅頭の両面の様に同じだと答えた、頓知のある子供に育ってほしいという人形である。 佐土原城蹟資料館(鶴松館)に資料が保存されているが、以前は佐土原地区公民館にあった。その基本になったものは、延岡市の小田省三医師(1985年逝去)が寄贈した257体の佐土原土人形である。これを青山幹雄が中心となり研究した。 縁起人形 35体 節句人形 雛人形武者人形 34体 わらべ人形 22体 風俗人形 伏見系 8体 博多系 29体 新派人形 14体 歌舞伎人形 146体(佐土原歌舞伎の影響 ある) 仮名手本忠臣蔵 33体 本朝24孝 20体 一の谷ふたば軍記 19体 義経千本桜10体 寿三番叟 9体 新薄雪物語 7体 伽羅先代萩 6体 菅原伝授手習鑑 6体 奥州安達が原 5体 鬼一法眼三略巻 5体 鎌倉三代記 4体 蝶千鳥曽我物語 4体 など 他所人形 博多、伏見、他所 36体時代の流れをあらわすものとして軍人人形(大正時代)もあった。
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