伝説と文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 14:31 UTC 版)
クノベリヌスはイギリスの伝説、さらにそれ以降の文学に伝えられた。系譜学でいうと、中世ウェールズの写本「Harleian 3859」に「Caratauc map Cinbelin map Teuhant」という記述がり、これは「タスキオウァヌスの子クノベリヌスの子カタラクス」と読むことができる。それぞれの名前は長い口承の間に変わった可能性もある。この写本には他に一連のローマ皇帝の名前と、ウェールズ神話の「Guidgen」(グィディオン Gwydion)と「Lou」(フリュウ・フラウ・グウフェス Lleu Llaw Gyffes)が含まれている。 ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』(1136年)では、クノベリヌスは王テヌアンティウス(タスキオウァヌスのこと)の子で、アウグストゥスの宮廷で育てられた強力な戦士「キンベリヌス」として登場する。キンベリヌスはローマ宮廷と非常に仲が良く、ローマに対して、求められたからではなく、敬意として地代を納めた。キンベルヌスにはグウィデルス(Guiderius)とアルウィラグス(Arvirargus)という2人の息子がいた。グウィデルスが王位を継いだが、クラウディウスの侵略の初期に殺され、戦いの続きはアルウィラグスに残された。 1577年、ラファエル・ホリンシェッドはジェフリーの話を自分の『年代記』に取り込んだ。ウィリアム・シェイクスピアはホリンシェッドの本でこの話を知り、自分のロマンス劇『シンベリン』の基にした。シンベリン王は邪悪な後妻の言いなりに、娘イモージェンの結婚を認めない。歴史上のクノベリヌスと共通するものはもはや何もなかった。 クノベリヌスの名前は今なおイングランドの中で生き残っている。バッキンガムシャーの村の集まりはクノベリヌスにちなんで「キンブルズ(Kimbles)」と名付けられた。その高みに位置するのは、類像的なビーコン・ヒルと、「シンベリンの小山」あるいは「シンベリン城」と呼ばれる不思議な形の小山である。地方伝承・民話では、その小山の斜面で、王とその息子たちが襲い来るローマ軍と戦ったと伝えている。
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