伏見宿 (中山道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 07:09 UTC 版)


伏見宿(ふしみじゅく)は、中山道50番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡伏見村(現・岐阜県可児郡御嵩町[1])に存在した。
歴史
元禄7年(1694年)に設置[1]。それ以前は土田宿が中山道の宿場となっていたが、木曽川の流路の変化により渡し場が移動し、土田宿が廃宿となったことにより新設された(土田宿は以降は上街道の宿場として存続した)[1]。
国道21号がかつての伏見宿付近を貫いているため、宿場町の風情は失われている。
概略
最寄り駅
史跡・みどころ
- 「本陣之跡」碑
- 新村湊跡
太田宿までの史跡・みどころ
- 今渡の渡し場(太田の渡し)跡
主な通行
- 駱駝 - 文政4年(1821年)に長崎に上陸したペルシャ産のヒトコブラクダのオスとメスの2頭は幕府献上品として輸入されたが幕府は受け取りを辞退した[2]。そのため大坂の商人の手に渡って興行目的で行脚することになり、「昼飯村文書」によると伏見宿には江戸に向かう途中の文政7年(1824年)8月6日からの3日間滞在し、多くの見物客を集めた[2]。
隣の宿
脚注
- ^ a b c d e “展示資料2 江戸ヨリ木曽街道新宮城ニ至ル地図 スポット解説”. 慶應義塾大学文学部古文書室. p. 5. 2025年7月15日閲覧。
- ^ a b “中山道を通ったラクダ”. 岐阜大学地域科学部地域資料・情報センター. 2025年7月15日閲覧。
関連項目
座標: 北緯35度26分20.6秒 東経137度05分12.6秒 / 北緯35.439056度 東経137.086833度
- 伏見宿中山道のページへのリンク