上街道_(木曽街道)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 上街道_(木曽街道)の意味・解説 

上街道 (木曽街道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/14 07:06 UTC 版)

旧・上街道(撮影場所:小牧市小牧4丁目)

上街道(うわかいどう)は、江戸時代中山道名古屋城下を結んだ脇往還街道)。「木曽街道」、「名古屋往還」とも呼ばれていた。

概要

江戸時代尾張藩が独自に作った街道で、名古屋城下の東片端(現在の愛知県名古屋市東区)から中山道伏見宿(現在の岐阜県可児郡御嵩町)までを結んでいた。総距離は、10里8丁(約40km)。途中3つの宿場町があった。名古屋から楽田追分(現在の愛知県犬山市)までは稲置街道とルートが重複している。軍事的な事情から、大きな川に橋がない・升形が多い・2間幅であるなど、五街道に準じた道の作りになっている。現在の国道41号名鉄小牧線・名鉄広見線に相当する。

歴史

名称の由来

上街道」の名称は、当時同じように中山道名古屋城下を結んでいた下街道との対比によるものである。

木曽街道」の名称は、中山道が木曽地方に通じていたことから名付けられたが、藩主など要人は当街道を通ることになっていたことから、庶民向けの下街道と対比した呼び方となったのである。これらの他に小牧宿を通ることから「小牧街道」、小牧宿に尾張徳川家の別荘があり、前出の通り藩主の往来があったことから「御殿様街道」とも呼ばれていた。また、楽田追分までは「稲置街道」と呼ばれることの方が多く、稲置街道が名古屋と犬山を結ぶことから「名古屋往還」「犬山街道」とも呼ばれた。

宿場・追分

ギャラリー


関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「上街道_(木曽街道)」の関連用語

上街道_(木曽街道)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



上街道_(木曽街道)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの上街道 (木曽街道) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS