他宗教との対立、迫害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:16 UTC 版)
「ヤズィーディー」の記事における「他宗教との対立、迫害」の解説
教徒の居住区はイラク北部に広がり、周辺の宗教勢力、武装勢力との対抗上、比較的アメリカ寄り立場を取るため、しばしばイスラム系武装勢力の攻撃対象となる。 サッダーム・フセインの政権下では、村落破壊と強制移住が強いられた。ただし、サッダームはヤズィーディー、ムスリムを問わず、クルド人全てを迫害した。 2007年8月14日:ニーナワー県のヤズィーディー教徒が多く住む二つの村でトラックによる同時自爆攻撃が発生。死者は400人以上。当時、イラク駐留していたアメリカ軍は、アルカイーダによる自爆テロとの見解を表明。後日、同年9月3日に行った空爆で、自爆テロを計画、指揮した首謀者を殺害したと発表した。 2014年8月8日:イラク政府及びクルド人自治区に激しい攻撃を加えていたISILに対し、アメリカ軍が限定的な空爆を実施。併せてISILの攻撃により、イラク北部のシンジャルの山地へ避難していたヤズィーディー教徒に対しても支援物資の空輸が行われた。 2014年10月15日:拘束したヤズィーディー教徒の女性を戦闘員に分配していたISILは、奴隷制の復活を宣言した(イスラム社会における奴隷制度についてはイスラームと奴隷制の項も参照のこと)。 前述通り、ヤズィーディーは、ヤズィーディー以外との結婚を拒む。2007年には、スンニ派のムスリムと結婚し、イスラームに改宗した女性(本当に改宗したかどうかは不明)がヤズィーディーである一族から殺害されるという名誉の殺人が起こった。上述した8月14日の事件はムスリム側からの報復として行なわれた。背景には、ヤズィーディーの排他性や保守性以外にも、イスラム武装組織がヤズィーディーを狙って起こした数々の大量殺人事件がある。
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