今滝 (掛川市)
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今滝 | |
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大字 | |
![]() 今滝の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度42分33.14693秒 東経138度1分37.35502秒 / 北緯34.7092074806度 東経138.0270430611度座標: 北緯34度42分33.14693秒 東経138度1分37.35502秒 / 北緯34.7092074806度 東経138.0270430611度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 116 人 |
世帯数 | 49 世帯 |
設置日 | 1889年 |
郵便番号 | 437-1436 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
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今滝(いまたき、英語: Imataki)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。東西に長い形状の大字である。小笠山の山麓に位置しており、西から中央にかけてのほとんどを山林が占めている。中央から東にかけては平地が広がり、田畑や人家が見受けられる。
集落としては、隣接する大字とともに「今滝」を構成している。掛川市の自治区としては、集落としての今滝は上土方区に属している[2]。
山岳
歴史
今滝と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡今滝村の一部であった[3]。今滝村は、江戸時代に入ると横須賀藩領となり[4]、天和2年に幕府領となり[4]、貞享年間に幕府と旗本である室賀氏との相給領となり[4]、元禄年間には幕府と旗本の室賀氏と長谷川氏との相給領となり[4]、のちに旗本の城氏と室賀氏と長谷川氏との相給領となった[4]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば今滝村の石高は212石9斗1升8合であったとされている[5][† 1]。また、今瀧寺の寺田が5石とされている[6]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀[4]、蕎麦[4]、牛蒡[4]、蕗[4]、萵苣[4]、藍[4]、木綿などが栽培されていた[4]。明治元年には駿府藩領となり[4]、明治2年には静岡藩領となった[4]。この今滝村の一部がのちの今滝に該当する[3]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に、この地は静岡県城東郡土方村の一部となった[4][7]。その際に従来の自然村は大字とされることになり、土方村の大字として今滝が設置された[4][7]。その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[3]。のちに静岡県庁企業局により工業団地の開発が始まり[8]、1993年(平成5年)に上土方工業団地が完成した[8]。それに伴い、今滝の一部が単独の大字としての「上土方工業団地」として分離独立した。その後、大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
沿革

- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。土方村の大字として今滝を設置[4][7]。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 1993年 - 上土方工業団地竣工[8]。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
今滝 | 49世帯 | 116人 |
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[9]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
今滝 | 3事業所 | 25人 |
小・中学校の学区
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立土方小学校 | 掛川市立城東中学校 |
施設

その他
郵便
- 郵便番号:437-1436[14](集配局:遠江大東郵便局)
警察
警察の管轄区域は以下の通りである[15]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 城東駐在所 |
消防
消防の管轄区域は以下の通りである[16]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第四分団 |
脚注
註釈
- ^ 今日では「遠江国風土記伝」と表記するのが一般的であるが、1900年に発行された『逺江國風圡記傳』では「逺江國風圡記傳」との表記を用いているため、同書に関する出典表記はそれに倣った。
出典
- ^ a b 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ 「地区・自治区・小区――大東・大須賀区域」『地区・自治区・小区 大東・大須賀区域 - 掛川市』掛川市役所、2020年4月8日。
- ^ a b c 平凡社稿「今滝村」『今滝村(いまたきむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q KADOKAWA稿「今滝村(近世)」『解説ページ』エア。
- ^ 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、472頁。
- ^ 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、473頁。
- ^ a b c KADOKAWA稿「今滝(近代)」『解説ページ』エア。
- ^ a b c 「上土方工業団地」『上土方工業団地 - 掛川市』掛川市役所、2022年4月19日。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「今滝公会堂」『今滝公会堂 - 掛川市家庭の避難計画』掛川市危機管理課。
- ^ 「小谷神社」『小谷神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「今瀧寺について」『今瀧寺について|高野山真言宗 如意輪山 今瀧寺|静岡県掛川市 遠江三十三観音霊場 第三十二番』今瀧寺。
- ^ 「ア行」『郵便番号 4371436 の検索結果 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ 「城東駐在所」『城東駐在所|静岡県警察』静岡県警察本部、2023年5月25日。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
関連項目
外部リンク
- 今滝公会堂 - 掛川市家庭の避難計画 - 今滝公会堂を紹介する掛川市危機管理課の公式ページ
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大渕 | 上土方嶺向 | 上土方工業団地 |
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