上土方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/23 17:09 UTC 版)
上土方 | |
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大字 | |
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上土方の航空写真
(2020年6月16日撮影) |
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北緯34度42分23.93186秒 東経138度2分28.66211秒 / 北緯34.7066477389度 東経138.0412950306度座標: 北緯34度42分23.93186秒 東経138度2分28.66211秒 / 北緯34.7066477389度 東経138.0412950306度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 245 人 |
世帯数 | 74 世帯 |
郵便番号 | 437-1433 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
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上土方(かみひじかた、英語: Kamihijikata)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。南北に細長い形状の大字である。全域が平地であり、田畑や人家だけでなく学校など公共施設も多い。北端には大坪台団地の一部が含まれている。西端を下小笠川が流れている。上土方の領域内には、隣接する大字である上土方嶺向の飛び地が存在する。一方、近隣の大字である上土方工業団地と上土方嶺向の間には、上土方の飛び地が存在する。
集落としては、大部分の領域が隣接する大字とともに「嶺向」を構成しているが、一部の領域は別の大字とともに「落合」を構成している。掛川市の自治区としては、集落としての嶺向は土方区に属しており[2]、集落としての落合は上土方区に属している[2]。なお、自治区としての上土方区は、入山瀬、落合、今滝の3集落によって構成されており[2]、大字として「上土方」[3]と住所表記される範囲とは全く異なる。
河川
- 下小笠川
歴史
大字として上土方と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡の今滝村の一部[4]、および、上土方村の一部であった[5][6][† 1]。
今滝村については、のちに今滝村から旦付新田が分離独立している[6][7]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、当時の今滝村の石高は212石9斗1升8合であったとされている[8]。また、今瀧寺の寺田が5石とされている[6]。この今滝村の村域の一部が[4]、のちの大字としての上土方の一部に該当する[4]。
一方、上土方村については、正保郷帳には上土方村として記載されているが[6]、のちに上土方村は落合村、向村、嶺村の3村に分割された[6][9]。元禄郷帳には落合村、向村、嶺村はそれぞれ別々の村として記載されている[6]。そのうち向村の村域の一部が[5]、のちの大字としての上土方の一部に該当する[5]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、当時の向村の石高は446石7斗7升6合であったとされている[6]。1868年(明治元年)に嶺村と向村が合併することになり、新たに嶺向村が発足した。
町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後の度重なる市町村合併を経て、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
地名の由来
大字として「上土方」と呼ばれている地は、かつては土形郷の一部であり、時代が下ると「上土方村」の一部となっていた[5][6]。「上土方」はその名前に因んでいる。
沿革

- 1868年 - 遠江国城東郡嶺村、向村が合併して嶺向村を設置。
- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1875年 - 浜松県城東郡落合村、嶺向村、旦付新田が合併して上土方村を設置。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
上土方 | 74世帯 | 245人 |
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[10]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
上土方 | 10事業所 | 65人 |
小・中学校の学区
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立土方小学校 | 掛川市立城東中学校 |
交通
バス
道路
施設
- 土方郵便局[12]
- 掛川市立土方小学校[13]
- 遠州夢咲農業協同組合土方支店[14]
- 遠州夢咲農業協同組合土方製茶工場[15]
- 大坪台団地
その他
郵便
- 郵便番号:437-1433[3](集配局:遠江大東郵便局)
警察
警察の管轄区域は以下の通りである[16]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 城東駐在所 |
消防
消防の管轄区域は以下の通りである[17]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第四分団 |
脚注
註釈
- ^ 今日では「遠江国風土記伝」と表記するのが一般的であるが、1900年に発行された『逺江國風圡記傳』では「逺江國風圡記傳」との表記を用いているため、同書に関する出典表記はそれに倣った。
出典
- ^ a b 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ a b c 「地区・自治区・小区――大東・大須賀区域」『地区・自治区・小区 大東・大須賀区域 - 掛川市』掛川市役所、2020年4月8日。
- ^ a b 「郵便番号・住所」『静岡県 掛川市 上土方の郵便番号 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ a b c 平凡社稿「今滝村」『今滝村(いまたきむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c d 平凡社稿「上土方向村」『上土方向村(かみひじかたむかいむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c d e f g h 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、473頁。
- ^ 平凡社稿「旦付新田」『旦付新田(だんづくしんでん)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、472頁。
- ^ 平凡社稿「上土方嶺村」『上土方嶺村(かみひじかたみねむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク 上土方嶺村(かみひじかたみねむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「住所」『土方郵便局 (静岡県) - 日本郵政グループ』日本郵政グループ。
- ^ 「ご父兄、ご家族の皆さんへ」『掛川市立土方小学校HP』掛川市立土方小学校。
- ^ 「土方支店」『JA遠州夢咲』遠州夢咲農業協同組合。
- ^ 「営農経済部」『JA遠州夢咲』遠州夢咲農業協同組合。
- ^ 「管轄区域」『城東駐在所|静岡県警察』静岡県警察本部。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
関連項目
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上土方落合 | 上土方落合 | 大坪台 | ![]() |
上土方落合 上土方嶺向 |
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下土方 | ||
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