坂里
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坂里 | |
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大字 | |
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坂里の航空写真
(2020年6月16日撮影) |
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北緯34度39分52.16724秒 東経138度4分55.96478秒 / 北緯34.6644909000度 東経138.0822124389度座標: 北緯34度39分52.16724秒 東経138度4分55.96478秒 / 北緯34.6644909000度 東経138.0822124389度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 99 人 |
世帯数 | 38 世帯 |
設置日 | 1889年 |
郵便番号 | 437-1411 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
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坂里(さかさと、英語: Sakasato)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては南東部に位置していた。北東から南西に広がる大字である。山林と農地が入り交じり人家も点在している。
近隣には大字の名称と集落の名称とが一致しない地が散見されるが、坂里においては大字としての住所表記は「坂里」[2]と記され、集落としても同じく「坂里」と呼ばれている。なお、集落としての坂里は、掛川市の自治区である千浜東区に属している[3]。
歴史
坂里と呼ばれている地には、もともとは自然村である遠江国城東郡坂里村が置かれていた[4]。江戸時代に入ると坂里村は横須賀藩領となった[5]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、坂里村の当時の石高は262石1斗4升9合であったとされる[6][† 1]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀[5]、大根[5]、蔓菁根[5]、辛菜[5]、白瓜[5]、青瓜[5]、冬瓜[5]、西瓜[5]、茄子[5]、甘蔗[5]、木綿などが栽培されていた[5]。用水としては牛淵川を利用していた[5]。『角川日本地名大辞典』によれば、坂里村の鎮守社は近隣の来福村に鎮座する牛頭天王社とされており[5]、坂里村の檀那寺は来福村の来福寺とされている[5]。明治元年には駿府藩領となり[5]、明治2年には静岡藩領となった[5]。この坂里村が、のちの大字としての坂里に該当する[4]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に坂里村は千浜村、国安村、久兵衛新田、喜右衛門新田、国包村と合併することになり、新たな千浜村が発足した。その際に従来の自然村は大字とされることになり、千浜村の大字として坂里が設置された[5][7]。1950年(昭和25年)に千浜村の坂里の一部が平田村に編入された[7]。1956年(昭和31年)には千浜村は大坂村と合併し、大浜町が発足した。1958年(昭和33年)に大浜町の坂里の一部が城東村に編入された[7]。その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[4]。のちに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
沿革
- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡千浜村、国安村、久兵衛新田、喜右衛門新田、国包村、坂里村が合併して千浜村を設置。千浜村の大字として坂里を設置[5][7]。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1950年 - 静岡県小笠郡千浜村坂里の一部が平田村に編入[7]。
- 1956年 - 静岡県小笠郡大坂村、千浜村が合併して大浜町を設置。
- 1958年 - 静岡県小笠郡大浜町坂里の一部が城東村に編入[7]。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
坂里 | 38世帯 | 99人 |
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[8]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
坂里 | 1事業所 | 1人 |
小・中学校の学区
公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立千浜小学校 | 掛川市立大浜中学校 |
交通
道路
施設
- 柴山神社[10]
その他
郵便
- 郵便番号:437-1411[2](集配局:遠江大東郵便局)
警察
警察の管轄区域は以下の通りである[11]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 千浜駐在所 |
消防
消防の管轄区域は以下の通りである[12]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第一分団 |
自衛隊
陸上自衛隊の管轄区域は以下の通りである[13]。
番地 | 方面隊 | 師団・旅団 | 部隊 |
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全域 | 東部方面隊 | 第一師団 | 第三十四普通科連隊 |
脚注
註釈
- ^ 今日では「遠江国風土記伝」と表記するのが一般的であるが、1900年に発行された『逺江國風圡記傳』では「逺江國風圡記傳」との表記を用いているため、同書に関する出典表記はそれに倣った。
出典
- ^ a b 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ a b 「サ行」『郵便番号 4371411 の検索結果 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ 「国勢調査/平成27年国勢調査/小地域集計――22静岡県」『国勢調査 人口等基本集計に関する集計 2 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ a b c 平凡社稿「坂里村」『坂里村(さかさとむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s KADOKAWA稿「坂里村(近世)」『解説ページ』エア。
- ^ 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、489頁。
- ^ a b c d e f KADOKAWA稿「坂里(近代)」『解説ページ』エア。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「柴山神社」『柴山神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「千浜駐在所」『千浜駐在所|静岡県警察』静岡県警察本部、2024年2月29日。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
- ^ 「第34普通科連隊」『陸上自衛隊 第1師団 第34普通科連隊』第1師団。
関連項目
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河東 | ||
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