今澄勇とは? わかりやすく解説

今澄勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 14:44 UTC 版)

今澄 勇
いまずみ いさむ
生年月日 (1913-06-12) 1913年6月12日
没年月日 (1997-11-17) 1997年11月17日(84歳没)
出身校 山口高等商業学校(現山口大学)卒業
所属政党日本社会党→)
右派社会党→)
民社党
称号 正四位
勲二等旭日重光章

選挙区 旧山口1区
当選回数 8回
在任期間 1947年4月25日 - 1960年6月24日
1963年11月21日 - 1966年12月27日
1969年12月27日 - 1972年11月13日
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今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年大正2年)6月12日[1] - 1997年平成9年)11月17日)は、昭和期の日本政治家、経済評論家。衆議院議員(8期)。

経歴

山口県出身。山口高等商業学校(現山口大学)卒業。1945年、日本社会党の結党に参加した。

1947年4月の第23回衆議院議員総選挙旧山口1区(定数4)から社会党公認で立候補し、トップで初当選した[2]

1951年の社会党の左右分裂では右派社会党に参加、1955年に両派は統一するも1959年に脱党し、1960年1月の民社党の結成に参加した。委員長西尾末広の下で党政策審議会長に就任。同年11月の第29回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。

1963年第30回衆議院議員総選挙で4番目の得票数で当選し、返り咲き。

1967年第31回衆議院議員総選挙で落選。同年、党政策審議会長を退任。1969年第32回衆議院議員総選挙で再び返り咲き。

1972年第33回衆議院議員総選挙に落選し、政界を引退。その後は経済評論家として活動。1983年秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。

1997年11月17日死去、84歳。死没日をもって正四位に叙される[3]

脚注

  1. ^ 『日本人事録 第6版』全国篇、121頁。
  2. ^ 今澄勇 衆議院議 国会議員白書
  3. ^ 『官報』第2289号9-11頁 平成9年12月24日号

参考文献

  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。




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