人類論における青木まりこ現象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:12 UTC 版)
「青木まりこ現象」の記事における「人類論における青木まりこ現象」の解説
評論家の高橋恭一は、生命の植物的機能に着目した解剖学者・哲学者の三木成夫の『内臓のはたらきと子どものこころ』(1982年、築地書館)の説を借りて、腸には宇宙の「遠」と共振する世界が備わっているとした。その上で、一般臓性求心性線維(英語版)を介した「臓性感覚」に無頓着になってしまった人類は、生命の進化にあらがう存在であり、このことが青木まりこ現象をはじめとした症状として現れるのではないかと指摘している。 小説家の浅田次郎は、耐えがたい便意を「日常的な普遍的な究極の生理的欲求」であるとし、これを状況に応じてひたすら我慢する様子を見て、「(便意に苦しむ姿は)人間の人間たる理性そのもの」と表現している。 文学者の月村辰雄は、ロダンの考える人や広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像がとる姿勢が、排便の姿勢に似ていることを例に挙げ、人類が書店で物思いにふけ便意を催すという一連の現象に対する神秘性について触れている。 考える人 弥勒菩薩半跏思惟像 音楽家の山本コウタローは、ジョン・A・リヴィングストン(John A. Livingston)の『破壊の伝統』(1992年、講談社)を引用し、書店とトイレとの関係は、環境問題や公害問題などと同等の問題であり、「人類の特異性による問題」としている。 なお実際には、書店に滞在することが許される動物は、盲導犬などを除けばごく限られており、人類以外でも青木まりこ現象が観察されるかどうかは知られていない。
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