人物・活動概観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 20:00 UTC 版)
THE MAD CAPSULE MARKETSの全ての楽曲をプロデュースし、作曲・編曲の大半は彼が手がけ、後期はほぼ全て彼の手によるものである。作詞の多くも手がけている。バッキング・ボーカル、シンセサイザーやプログラミング、一部においてギターも演奏し、メイン・ボーカルをとっている曲もある。AA=ではメイン・ボーカルもつとめる。『#3』では全曲自らボーカルを担当している。 BERRIE時代(1990年頃まで)は「紅麗死異剛市」(死異の上に×)、1994年までは「CRA¥」(クレイ)、1998年までは「TAKESHI"¥"UEDA」と名乗っていた。現在の表記は上田剛士、もしくはTAKESHI UEDAとなっている。 フェンダー製の自身のシグネチャー・モデルのベースが存在する。 ただし、セッション・ベースプレイヤーとして他のミュージシャンのレコーディングに参加することはあまりない(例外的に参加しているのはSOFT BALLET、SCHAFTのアルバム)。 ゲーマーであり、レコーディングの休憩はスタジオ内でよくTVゲームをして過ごす。RPGよりもスポーツゲームなどの類が好きで、MAD時代のファンクラブの会報でもウイニングイレブンに熱中している写真が載っていたことがあった。 MADはBUCK-TICKと親交があり、特に今井寿にはメンバー共々初期の頃から目をかけてもらっていた。互いにルーツがYMOであるなど音楽性も共通したものを持っている。今井は上田のベースプレイを「シンベみたい」と評しており、MADのデビュー時のサウンドから既にデジタル的な要素を感じ取っていたという。 また洋楽では、ミニストリーなどのインダストリアルメタルやアタリ・ティーンエイジ・ライオットのデジタルハードコアなどの影響も見られる。その他の好きなジャンルも多岐に渡り、ツアーの移動中はクラシックなども聴いているらしい。 アタリ・ティーンエイジ・ライオットのアレック・エンパイアは彼のサウンドをデジタルハードコアのラモーンズと表現した。 弥勒菩薩が好きであり、旧友であるBALZACのHIROSUKE氏とともに京都によく訪れ、寺院を回るなどを行っていた。 自身も、幼少の頃仏教系の保育園に通っていたことから、仏教に対して身近に思っているとも語る。 THE MAD CAPSULE MARKETSのワールドツアー時に、戦争の影響を目の当たりにしたことから、平和に対する意識が変わったとも語る。 かつてはそうではなかったが、現在は、殆ど飲酒をしない。また、喫煙もしない。 大のサッカーファンとしても知られており、イングランドのフットボールクラブであるマンチェスター・ユナイテッドの大ファンである。自身のツイッターでも度々、ユナイテッドについて呟いている。
※この「人物・活動概観」の解説は、「上田剛士」の解説の一部です。
「人物・活動概観」を含む「上田剛士」の記事については、「上田剛士」の概要を参照ください。
- 人物・活動概観のページへのリンク