京都帝国大学理工大学入学から教授就任
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「山本一清」の記事における「京都帝国大学理工大学入学から教授就任」の解説
1913年(大正2年)7月京都帝国大学理工科大学物理学科卒業後直ちに大学院に入学し、同年12月に滋賀県栗太郡治田村(現在草津市と栗東市にまたがる)の川崎英子と結婚する。翌1914年(大正3年)4月大学助手となり、5月水沢緯度観測所に赴任し、緯度変化と気象との関係を研究するため文部省測地学委員会の嘱託に命じられ大学より派遣された。1915年(明治4年)4月大学講師に任じられる。なお、1916年(大正5年)より1922年(大正11年)の間、毎年夏に測地学観測委員会の委嘱に基づき関東および新潟・長野の約280地点で重力測定を行った。 1918年(大正7年)6月鳥島での日食観測を行い、同年10月大学助教授に任じられた。1920年(大正9年)9月日本で最も歴史の長い天文同好会(略称・OAA)を結成した。なおOAAの結成時の正式名称は「天文同好会」で、その後「東亜天文協会」と改称、さらに現在の名称である「東亜天文学会」に改名した。1922年9月文部省在外研究員としてアメリカを中心にイギリス・ドイツ・フランスに留学し、1925年(大正14年)3月帰国。翌4月京都帝国大学理学部(1919年(大正8年)分科大学を学部に改称)教授に就任した。同年7月論文「大気ニヨル光線屈折ノ効果研究ノ為 水沢ニ於テ行ヘル緯度変化ノ同時観測」提出により理学博士学位を受ける。
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