交通分野での進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:30 UTC 版)
この他に政治が強く関与した経済的進出としては、鉄道の建設が挙げられる。列強は植民地内のみならず、後進地域の鉄道敷設権を争って獲得していき、自国の民間資本によって建設させていった。鉄道建設はしばしば帝国主義的構想と密接に関連しており、たとえばイギリス領ケープ植民地の首相だったセシル・ローズによるケープタウン・カイロ間のアフリカ大陸縦断鉄道構想と、両都市とさらにインドのカルカッタとを結ぶ勢力圏を構築する3C政策、そしてそれと対立するドイツによるバグダード鉄道建設構想(後年、ベルリン・ビザンチウム・バグダードを結ぶ進出政策として3B政策と呼ばれるようになった)などは、その一例である。 鉄道のほかに、この時期に建設された世界の二大運河であるスエズ運河とパナマ運河もまた、帝国主義と深くつながっていた。スエズ運河はムハンマド・アリー朝統治下のエジプトで、フランスのフェルディナン・ド・レセップスによって1869年に建設されたが、その条件はエジプトに非常に不利なものだった。1875年にエジプトが財政危機に陥り、エジプト副王のイスマーイール・パシャがスエズ運河会社の持ち株を売りに出すとイギリス政府がそれを購入して筆頭株主となり、エジプトに大きな影響力を及ぼすようになった。翌年エジプトが財政破綻するとフランスとともに同国の財政管理を行い、やがて1882年の軍事占領へとつながっていくこととなった。パナマ運河は当初レセップスが建設を行っていたものの失敗して破産し、1903年にアメリカ政府がコロンビア政府と条約を結んでその権利を引き継いだ。しかしコロンビア議会では反対の声が強かったため、アメリカは運河予定地であるパナマ市の分離独立派に資金を拠出し、革命を扇動した。独立したパナマ共和国をアメリカはすぐに承認し、パナマ運河地帯の租借など非常にアメリカ有利な条約を締結させたうえで運河工事に着工、1914年に開通した。
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