交友関係と私生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 02:11 UTC 版)
「アルトゥル・シュニッツラー」の記事における「交友関係と私生活」の解説
上述のホーフマンスタールは、16歳のときに匿名で書いた詩がウィーン文学界に認められた神童であったが、その頃かれに会ったシュニッツラーは彼が天才であることを鋭敏に感じ取った。シュニッツラーはホーフマンスタールのほぼ12歳年上であったが、2人は出会った瞬間から不思議なほど気が合い、2人で一緒に自転車でイタリアやスイスまで長旅をしたという。 ジークムント・フロイトは同じ医学を学んだシュニッツラーの文学作品に親近感をもったといわれている。また、フロイトは自分と同じ志向をもち、しかも自分のような精神分析の手法を用いないで人間の内面を診断したとして、書簡のなかでシュニッツラーを称賛した。しかし、フロイトはシュニッツラーとしばらく手紙のやりとりをしながらも、実際に会うのを避けてきた。それは、フロイトの側が自分の分身(ドッペルゲンガー)に出会うような気がして、そこに恐怖を感じたためだとシュニッツラー宛書簡のなかで述べている。 1903年に結婚した妻オルガとは1921年に離婚し、それ以降、息子ハインリヒ(1902年8月9日生)と娘リリー(1909年9月13日生)をひとりで育た。ハインリヒは後に演出家になっているが、リリーは1928年に10代の若さで自殺し、彼はひどくショックを受けた。 シュニッツラーの残した日記によれば、彼は自分でピアノを弾いたり、演奏会に出かけたりする音楽愛好家であった。彼が同時代の作曲家で最も愛好したのはグスタフ・マーラーであった。 1931年10月21日、シュニッツラーは脳出血のためにウィーンで亡くなった。69歳であった。彼の墓はウィーン中央墓地の第1門、旧ユダヤ人墓地にある。
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