五大老(ごたいろう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/01/31 05:20 UTC 版)
「ラキスにおまかせ」の記事における「五大老(ごたいろう)」の解説
国を実質動かしている筆頭宮廷魔術師、中央騎士団長、帝国情報局局長、外務省長官、内務省長官の5人のこと。
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五大老(五人の衆)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 18:22 UTC 版)
徳川家康(関八州:武蔵・伊豆・相模・下総・上総・上野・下野など255万石余) 毛利輝元(中国路:安芸ほか8か国で112万石 ) 上杉景勝(奥羽:会津・置賜・庄内および北陸:佐渡・東蒲原など120万石) 前田利家(北陸:能登・加賀半国など83万石)前田利長 〈〃・越中・加賀半国など61万石余〉 ※慶長4年(1599年)の父・利家死後 宇喜多秀家(山陽:備前・美作・備中半国・播磨赤穂郡57万石) 小早川隆景(九州:筑前など37万石)※慶長2年(1597年)病没 徳川家康 毛利輝元 上杉景勝 前田利家 宇喜多秀家 小早川隆景 前田利長 家康・秀家・利家・輝元・隆景(景勝)の5人は、「御掟・御掟追加」の連署に名を連ね、他の大名とは異なる処遇を認められてもいた。隆景が欠けたのち、秀吉の遺命によって「五大老」(秀吉の遺書の明文では「五人の衆」)とされたのは、家康・利家・秀家・景勝・輝元の五人であり、利家の死後は家康・秀家・景勝・輝元・利長の五人が「五大老」である。 なお、死去あるいは高齢・病気等によって家康が欠けた場合は嫡男(三男)・徳川秀忠が、利家が欠けた場合は嫡男・利長が跡を襲うことが秀吉遺命に定められていたが、他の三人が欠けた際の欠員補充については定めはなかった。 慶長4年春、家康と利家の話し合いの中で、家康次男・結城秀康を「六人目の大老」とする案が持ち上がったが、異論があったとみえて実現には至っていない。
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