二十一号作戦とは? わかりやすく解説

二十一号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:14 UTC 版)

インパール作戦」の記事における「二十一号作戦」の解説

インドへの侵攻作戦という構想は、ビルマ攻略戦予想外に早く終わった直後から存在したインド北東部アッサム地方位置しビルマから近いインパールは、インド駐留するイギリス軍主要拠点であったビルマ-インド間の要衝にあって、他の連合国から日本戦っていた中華民国への主要な補給路(援蔣ルート)であり、ここを攻略すれば中国軍国民党軍)を著しく弱体化できると考えられた。 日本の南方軍は、「二十一号作戦」と称して東部インドへの侵攻作戦上申した1942年昭和17年8月下旬戦争早期終結につながることを期待した大本営は、この意見同調して作戦準備命じた参加兵力第15軍第18師団主力とする2個師団弱とされた。イギリス軍予想兵力10師団に対して著しく少ないが、ビルマ戦の経験からはこの戦力比でも勝算がある考えたのである。 しかし、二十一号作戦の主力予定され第15軍及び第18師団師団長牟田口廉也中将)はこの計画反対した。現地部隊は、雨季補給の困難を訴えた乾季であっても山岳河川による交通障害人口希薄地帯ゆえの徴発困難などが予想される主張した現地部隊反対に加えガダルカナル島の戦い発生もあったため、同年11月下旬大本営は二十一号作戦の実施保留命じた。ただし、あくまで保留であったため、現地では作戦研究続行されるべきことになった

※この「二十一号作戦」の解説は、「インパール作戦」の解説の一部です。
「二十一号作戦」を含む「インパール作戦」の記事については、「インパール作戦」の概要を参照ください。

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