事実の発掘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:17 UTC 版)
高知県の高等学校教諭山下正寿は、1985年から、アメリカが1946年 - 1958年にビキニ環礁やエニウェトク環礁で計67回行った一連の核実験で被爆したとみられる県内の船員への聞き取り調査、アメリカの公文書の分析、厚生労働省への情報公開請求に取り組み、被災の実態を明らかにしてきた。山下がビキニ核実験から34年後に第五福竜丸以外の漁船員204名を調べた結果は、癌などの病気で3割(61人)がすでに死亡。約13,000人に1人発症するとされる白血病で3人も亡くなっていた。 また1991年、被爆した船員の一人である大石又七も報告の書籍を発行した。 厚生労働省が、ほかの漁船では船体と漁獲物のみ放射能を測定し、乗組員を測った記録は存在しないとしていたところ、外務省を通じてアメリカ国立公文書記録管理局に保管され国家機密が解除された文書からアメリカに提供したデータには乗組員の被爆の記録もあったことから、外務省に情報公開を求めたところ発見された。2014年9月19日厚生労働省からもビキニ被爆のほかの船体や船員の文書が見つかっている。 水産庁は他の日本漁船の被爆記録の存在を否定し続けていたが、2015年2月22日、約40点の行政文書の存在が明らかとなった。1954年11月30日付の水産庁文書の別紙には、被災漁船総数が1423隻になると記載されていた。また、「毎分100カウント以上の放射能が検出された漁獲物は廃棄処分とした」として、汚染魚を廃棄した漁船は992隻と記録されていた。
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