九五式の導入とは? わかりやすく解説

九五式の導入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:52 UTC 版)

九五式軽戦車」の記事における「九五式の導入」の解説

こうして1920年代後半の「軽戦車主力多数)と重戦車補完少数)の二本立て」で戦車隊整備するという日本陸軍構想は、1930年昭和5年)を境に大きく転換し最新軽戦車豆戦車研究用輸入され1930年代前半の「軽量化高速化」の要求対応し1935年昭和10年)に重戦車中戦車置き換えられて「軽戦車中戦車二本立て」となり、暫定的に九五式軽戦車(40km/h)と八九式中戦車(25km/h)」の組み合わせ経て1937年昭和12年)に「九五式軽戦車(40km/h)と九七式中戦車(38km/h)」の組み合わせでようやく達成されるのと同時に戦車対す方向性確立されることとなった九五式軽戦車軽量快速だが小型軽装甲であり37mm戦車砲榴弾威力小さい(危害範囲が狭い)ので、本車補完するために、八九式中戦車」の後継として、八九式よりも最高速度装甲厚を増した九七式中戦車開発された。榴弾威力大きい(危害範囲が広い)が装甲貫徹能力に劣る短砲身57mm戦車砲搭載した九七式中戦車は、「火力支援戦車」「歩兵支援戦車」の色合いが濃い物であった。 よく誤解されがちであるが、「九五式軽戦車あまりに非力主力なれない失敗作だったので、代わりに九七式中戦車開発された」わけではないまた、中戦車である九七式主力となる戦車で、軽戦車である九五式が補助となる戦車」という見方は、第二次世界大戦後半の、軽戦車陳腐化した状況からの間違った見方である。開発当時あくまでも九五式軽戦車こそが主力であり、九七式中戦車はそれを補完する存在であった。いわば両車は、ドイツ陸軍III号戦車IV号戦車イギリス陸軍巡航戦車歩兵戦車のような関係であったこうした日本陸軍戦車運用に関する戦闘教義変化するのは、試製九八式中戦車試製四十七粍戦車砲搭載することによって、中戦車にも強力な対戦車戦闘能力求めようになった1939年昭和14年)頃からだと考えられる

※この「九五式の導入」の解説は、「九五式軽戦車」の解説の一部です。
「九五式の導入」を含む「九五式軽戦車」の記事については、「九五式軽戦車」の概要を参照ください。

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