乗満寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/28 05:50 UTC 版)
乗満寺 | |
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所在地 | 東京都世田谷区北烏山5-7-1 |
位置 | 北緯35度40分37.6秒 東経139度35分48.2秒 / 北緯35.677111度 東経139.596722度座標: 北緯35度40分37.6秒 東経139度35分48.2秒 / 北緯35.677111度 東経139.596722度 |
山号 | 野條山 |
院号 | 林松院 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳 |
中興年 | 室町時代中期【第1次】、天正年間(1573年 – 1593年)【第2次】 |
中興 | 道祐【第1次】、明泉法師【第2次】 |
正式名 | 野條山林松院乘滿寺 |
別称 | 猫寺 林松寺 |
法人番号 | 7010905000269 ![]() |
乗満寺(じょうまんじ)は、東京都世田谷区北烏山にある真宗大谷派の寺院。「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つである。
概要
創建年代は不明である。元々は加賀国(現・石川県)に位置し、「林松寺」と称する真言宗の寺院であった。蓮如上人の北陸巡錫の折、林松寺住職の道祐が蓮如の教えに帰依し、浄土真宗に転宗した[1]。
その後、摂津国(現・大阪府)や山城国(現・京都府)を転々としたが、寺運衰微して廃寺寸前まで追い込まれた[1]。
天正年間(1573年 - 1593年)に至り、野條受閑という名の医師の協力の下、明泉法師が中興した。その後、駿河国(現・静岡県)に移転し、徳川家康の江戸入府に伴い、江戸車坂(現・東京都台東区東上野付近)に移転した。その頃に「野條山乗満寺」に改称した[1]。
1923年(大正12年)の関東大震災に罹災したため、翌年1924年(大正13年)に現在地に移転した[2]。
交通アクセス
- 千歳烏山駅より徒歩14分。
出典
参考文献
- 世田谷区 編『小学生の烏山寺町あんない 付 世田谷の社寺と遺宝その2』世田谷区、1978年
- 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年
関連項目
乗満寺(じょうまんじ・地図)
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「烏山寺町」の記事における「乗満寺(じょうまんじ・地図)」の解説
浄土真宗大谷派に属し、本山は東本願寺、山号を「野條山」という。創建は古く、蓮如の北国巡化に際して加賀国の真言宗寺院・林松寺住職道祐和尚が帰依したのが始まりである。その後大坂、伏見、駿河、江戸車坂と移転を重ね、中興4世受学和尚の代に「乗満寺」と改名したと伝わる。後に浅草松葉町に移転し、関東大震災後の大正13年(1924年)に烏山に再移転した。所在地は北烏山5-7-1。
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