久しぶりの新造車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:38 UTC 版)
「阪神851形電車」の記事における「久しぶりの新造車」の解説
1930年代中期から後期にかけて阪神間の鉄道は大きな変貌を遂げた。それまで中長距離輸送主体だった国鉄が、1934年7月の吹田 - 須磨間電化に伴う省線電車開通と同時に、大阪 - 神戸間で急電の運転を開始、都市間輸送にも積極的に参入するきっかけとなった。一方の私鉄側も1933年の阪神本線の神戸市内地下化工事完成、1936年3月の阪神本線神戸市内地下線が元町に、4月には阪急神戸線が三宮にそれぞれ延長、1939年3月には梅田駅が地下化されるなど、現在につながる路線やインフラなどが省線電車開業の前後数年間に完成した。 阪神では地下化工事に着手するとともに、木造車の301,311,321,331の各形式の鋼体化工事を推進、すでに1001,1101,1111,1121の各形式が登場していたが、最後の331形から1141形への改造工事に取り組んでいた1936年2月、翌月の元町延長に伴う所要車両数の増加に対応して、急行電車用に7年ぶりの新車として、1001形各形式の鋼体化における成果を採り入れ、急行用にふさわしい新車として大きくモデルチェンジした851形を増備することとなった。
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