久万山騒動と復権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 10:44 UTC 版)
寛保元年(1741年)8月、久万山地域の農民3000人が、紙専売仕法反対等を訴え一揆を起こし大洲藩に逃散する事件が発生する。今度は久兵衛貞国がその責任を問われ、遠島となり失脚する。同年12月に大坂表より召喚された貞継は、翌寛保2年(1742年)に家老職に復帰、寛保3年(1743年)に知行3000石を賜り、軍用方並支配方用係となる。寛延3年(1750年)、500石の加増を受ける。宝暦3年(1753年)、病により家老を辞職して隠居する。安永2年(1773年)、隠居料50人扶持を賜り、左門と名乗る。 安永7年(1778年)6月11日死去。享年71。
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