主要地区の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:34 UTC 版)
歴史市街またはセントロ 長年にわたって、当海水浴地は、沖合で遭難した船の名を取って「マルガリータ海岸」として知られていた。この地域を最初に区割りして名付けられたのが当地区である。当地の商業の中心地となっている。 サン・ラファエル 地所・海水浴場開発者協会が2番目に区画、分譲したのがこの地区であり、地区の北部には、アルゼンチン自動車クラブがあり、キャンプ場が併設されている。協会は、その名称を「サン・ラファエル」と改め、それが地区の名称にもなっている。住宅地である。 ペドロ・ロッコ ブラウン提督通りとカルベッティ通りが他の地区との境界となっており、この地区に建てられた重要なホテルの名を取ってエル・シルビオとして長年知られてきた。後に、ペドロ・ロッコと公式に命名されたが、この名は、最初の地域振興住民協会の開発者の一人であり、トリノ通りとベルグラノ通りの交差点にあった有名な「屋形船」の所有者を顕彰したものである。住宅地である。 ビジャ・クレリア ビジャ・クレリアと名付けられたこの地区は、当地で海岸から最も離れた地区であり、今日では海水浴場間をつなぐルート上にあるが、定住者によって住宅建設地として選ばれ、1年通じて人口の最も密集した地域である。長距離バスのターミナルや技術中等教育学校(E.E.T. No.2)が設置されている。 ロス・トロンコス 当地では特徴的な地区である。セントロ地区とビジャ・クレリア地区の間に位置する。高級な住宅が並んでいることが特色である。著名な住人として、ロシ・デ・パニがいる。 マル・デ・アホ・ノルテ 1939年、フアン・カルロス・チオーサは、ルイス・ゲレロとルイス・ピーナと協会を組織しマル・デ・アホの北部に114ヘクタールの土地を購入することを決めた。海水浴場を興そうとし、さらには、水深の深い港に防波堤を構築しようと考えたのである。この防波堤は、かなり後年になって桟橋として利用されることになった。しかし、その計画の具体化は、チオーサを十分には満足させるところとならず、彼は協会を解散させ、新しい組織をもってマル・デ・アホ・ノルテに近接する区画を購入し、サン・ベルナルド・デル・トゥユーを創建した。やがて、マル・デ・アホ・ノルテは、マル・デ・アホ最大の地区になっていった。 マル・デ・アホ・フィッシングクラブがこの地区にある。また、住民委員会が置かれている。
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