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中野次雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 01:38 UTC 版)

なかの つぎお
中野 次雄
生誕1910年6月27日
東京市本所区東両国
(現東京都墨田区
死没 (1999-10-13) 1999年10月13日(89歳没)
職業裁判官

中野 次雄(なかの つぎお、明治43年(1910年6月27日 - 平成11年(1999年10月13日[1])は、日本裁判官。元大阪高等裁判所長官[2]。父は東京府会議長をつとめた中野勇治郎

経歴

東京市本所区東両国出身[3]

1933年11月高等試験司法科及行政科合格[3]1934年3月東京帝国大学法学部卒業[3]。同年6月司法官試補 東京地方裁判所[3]1935年判事に任官[4]

1957年1964年司法研修所教官[2]1966年1968年最高裁判所調査官(上席)[2]1968年前橋地方・家庭裁判所所長[2]1970年東京高等裁判所判事[2]1973年大阪高等裁判所長官1975年定年退官[2]1976年1981年早稲田大学客員教授[2]1980年、勲一等瑞宝章受章[1]1984年1989年北海学園大学法学部教授[2]1999年、急性腎不全のため逝去[2][1]

人物像

趣味は読書[4]宗教日蓮宗[4]。住所は東京都杉並区[4]

野村二郎に「刑事裁判官の指導的役割を果たした」と評されている[5]

家族・親族

中野家

京都府北桑田郡[6]東京市本所区東両国[7](現東京都墨田区)、東京都杉並区[4]
  • 父・勇治郎(京都府人、弁護士、政治家)
明治12年(1879年1月生 - 没
明治15年(1882年)10月生[7] - 没
明治37年(1904年)7月生[7] - 没
ツヤ(元学校法人鷗友学園特別顧問)
大正2年(1913年)6月生[7] - 平成23年(2011年)9月没
トシ子(元最高裁判事栗本一夫の妻、経済人類学者の栗本慎一郎の母)
大正5年(1916年)3月生[7] - 没
  • 妻・松子(大栄興業社長星光長女[4]
大正5年(1916年)2月生[4] -
昭和16年(1941年)11月生[4] -

著書

  • 『判例とその読み方3訂版』(有斐閣 2009年03月)[2]

脚注

  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.427
  2. ^ a b c d e f g h i j 著者情報 中野次雄
  3. ^ a b c d 『大日本司法大観』(編纂兼発行者 沖邑良彦 1940年 110頁)
  4. ^ a b c d e f g h i j 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)な五九
  5. ^ 野村二郎 『最高裁判所』講談社現代新書(講談社)、1987年、47頁。ISBN 4061488422 
  6. ^ 佐藤幸平 著『東京弁護士名家録 第1巻』(大正14年)五六頁
  7. ^ a b c d e f 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ナ一〇五


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