中里綴・神田エミの時代
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1973年(昭和48年)9月、東京に戻り、作詞家としての再スタートを切る。 1974年(昭和49年)6月には、田山雅充が結成したグループ「赤い花」のデビューシングル「赤い花みつけた」のB面曲『今愛の中で』(作曲田山雅充、キャニオンレコード)に中里綴の名で歌詞を提供している。1975年(昭和50年)には、田山の新しいデュオ「たやまと夕子」に『暮れそで暮れない黄昏どきは』を提供している。同年、南沙織が当時キャニオンレコード(現在のポニーキャニオン)のディレクターであった屋代に作詞の相談に訪れたことがきっかけとなり、『暮れそで暮れない黄昏どきは』を『人恋しくて』と改題、南沙織の同年8月1日発売のシングルとして、CBSソニーレコード(現在のソニーレコード)から発売された。南は、本作によって第17回日本レコード大賞歌唱賞を受賞、同曲で『第26回NHK紅白歌合戦』に5回目の出場を果たしている。その後も多く田山と組み、田山の翌1976年(昭和51年)2月26日に発売されたソロデビューシングル「春うらら」では、補作詞でクレジットされている。 以降、作詞家としての地位を築き、1978年(昭和53年)5月5日に発売された伊藤咲子のシングル「寒い夏」につづき、同年7月5日に発売された伊藤のアルバム『おるごおる』の全曲作詞を務めた。 1980年代にかけて、沢田聖子、中森明菜、堀ちえみらの楽曲の作詞を手がけた。作詞家としての再出発以来8年の同棲生活を経て、1981年(昭和56年)3月、音楽プロデューサーとして独立していた14歳年上の男性と結婚するも、1985年(昭和60年)12月協議離婚している。 1986年(昭和61年)3月以降に発表された楽曲について、神田エミの名を使用するようになった。同名義では、同年、少年隊のミュージカル『ミュージカルPLAYZONE “MYSTERY”』の6曲の作詞を手がけ、同ミュージカルで組んだ作曲家の井上堯之と組んで、萩原健一の『GIMME YOUR LOVE』を手がけている。
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