中部横貫公路とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中部横貫公路の意味・解説 

中部横貫公路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 14:20 UTC 版)

台湾省道
中部横貫公路
東西横貫公路
省道台8線
一般省道(横貫公路)
地図
路線延長 本線開通時 192.782 km
現道 本線 187.797 km
開通年 1960年
起点 台中市東勢区東勢大橋中国語版東詰)
終点 花蓮県新城郷太魯閣大橋中国語版南詰)
接続する
主な道路
記法
省道台3線
省道台9線
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

中部横貫道路(ちゅうぶおうかんどうろ)あるいは東西横貫道路[1](とうざいおうかんどうろ)は、台湾の中央部を東西に横断する幹線道路である。一般には中横公路: 中橫公路と呼ばれる。北部横貫道路(北横公路)、南部横貫道路(南横公路)とともに台湾三大横貫公路となる最初の公道(公路)であり、1960年5月9日に全線開通し、開通後は省道台8線の呼称が定着している。

1999年9月21日大地震の災害により、谷関から徳基までの区間が長期通行止めとなり、2004年の台風7号により再び崩壊した。その後、迂回路が通され、整備されるとともに、本線の復旧工事が進められている[2][3]

概要

東勢(1990年)
谷関(2011年)

台中市東勢区東勢大橋中国語版を起点として、谷関: 谷關)・徳基: 德基)・梨山大禹嶺関ヶ原: 關原)・天祥中国語版タロコを経て花蓮県新城郷につながる省道である。前身は日本統治時代理蕃政策のなかで1914年に設けられた理蕃道路にさかのぼる[4]。中部横貫公路の建設は1956年7月7日に開始され、1960年5月9日に開通した。

路線

中部横貫公路は、台湾の西海岸と東海岸を隔てる中央山脈を貫き、平地から標高3000メートルを超える合歓山までの変化に富む地形に、トンネルが掘られ、渓谷を開削するなどして通され、途中、1986年に指定された太魯閣国家公園も通過する[5]省道台8線がこの路線系統の本線であり、支線に宜蘭支線(台7甲線)と霧社支線(台14甲線)の2本がある。

本線

大禹嶺「合歓山隧道」(東口)標高2565m[6]
太魯閣峡(九曲洞)
  • 頭社
    とうしゃ
  • 尾社
    びしゃ
  • 蕃社
    ばんしゃ
  • 新伯公
    しんはくほう
  • 大茅埔
    だいぼうほう
  • 風樹脚
    ふうじゅきゃく
  • 稍來
    そうらい
  • 南勢
    なんせい
  • 白鹿
    はくろく
  • 白冷
    はくれい
  • ラクス社中国語版(松鶴/久良栖)
    らくす-しゃ
  • ハロンダイ社(哈崙台)
    はろんだい-しゃ
  • 馬崙(瑪陵)
    ばろん
  • 烏来社
    うらい-しゃ
  • 小沢台
    おざわたい
  • 達見(徳基)
    たっけん
  • タバン
    たばん
  • 佳陽
    かよう
  • 気合
    きあい
  • 椚岡
    くぬぎおか
  • 合歓峠(大禹嶺)
    ごうかん-とうげ
  • 畢祿
    ひつろく
  • レボック社
    れぼっく-しゃ
  • クバヤン社(新白楊)
    くばやん-しゃ
  • ロサオ社(洛韶)
    ろそう-しゃ
  • クモヘル社
    くもへる-しゃ
  • シキリヤン社
    しきりやん-しゃ
  • シーバウ社(西寶)
    しいぼう-しゃ
  • 梅園
    ばいえん
  • ソワサル社
    そわさる-しゃ
  • シカラハン社
    しからはん-しゃ
  • トブラ社(文山)
    とぶら-しゃ
  • イボホ社
    いぼほ-しゃ
  • 北マヘヤン社(白陽)
    きた-まへやん-しゃ
  • タビト社中国語版(天祥)
    たびと-しゃ
  • ドヨン社(陀優恩)
    どよん-しゃ
  • ボクスイ社(緑水)
    ぼくすい-しゃ
  • 合流
    ごうりゅう
  • 錐麓(九曲洞)
    すいろく
  • 断崖
    たんがい
  • ハダカン社
    はだかん-しゃ
  • ブロワン社中国語版(布洛灣)
    ぶろわん-しゃ
  • 渓畔
    けいはん
  • シラガン社(西拉岸)
    しらがん-しゃ
  • アヨ(長春祠)
    あよ
  • ロチエン社
    ろちえん-しゃ
  • ブセガン社(富世)
    ぶせがん-しゃ

支線

宜蘭支線

中部横貫公路には支線として、宜蘭支線と霧社支線がある。宜蘭支線は台7甲線の全長74.217キロメートルで、梨山より分岐して北上し、中央山脈にある武陵農場中国語版付近を経て北部横貫公路台7線につながり、宜蘭に向かう[2]。梨山から宜蘭までは111.67キロメートルであり[7]

  • 太保久(松茂)
    たいほうきゅう
  • シカヤウ社中国語版(環山)
    しかよう-しゃ
  • 平岩山
    ひらいわやま
  • 志良結(武陵農場口)
    しりょうせつ
  • 有勝(勝光)
    ゆうしょう
  • ピヤナン鞍部中国語版(思源啞口)
    ぴやなん-あんぶ
  • 突稜
    とつりょう
  • エキジュウ
    えきじゅう
  • ピヤナン社(南山)
    ぴやなん-しゃ
  • メラ(米羅)
    めら
  • シキクン社(四季)
    しきくん-しゃ
  • ルモアン社(留茂安)
    るもあん-しゃ
  • ヱボシ(独立山)
    えぼし
  • 松羅社
    しょうら-しゃ
  • 玉蘭
    ぎょくらん
  • 崙埤子
    ろんひし
  • 粗坑
    そうこう
  • 再連
    さいれん
  • 蚊子煙埔
    ぶんしえんほ
  • 上深溝
    かみ-しんこう
  • 三鬮
    さんき

霧社支線

霧社支線は全長43キロメートル[8] (43.2km[9])、現在の台14甲線の全長41.719キロメートルであり[2]合歓峠(大禹嶺)より佐久間峠中国語版(武嶺)(標高3275m)、昆陽中国語版、そして清境農場中国語版を経て霧社につながり、台14線と接続する。

  • 合歓峠(大禹嶺)
    ごうかん-とうげ
  • 合歓
    ごうかん
  • 石門(せきもん)
    せきもん
  • 佐久間峠中国語版(武嶺)
    さくま-とうげ
  • 合歓山中国語版(昆陽)
    ごうかん-ざん
  • 桜ヶ峯(鳶峰)
    さくらがみね
  • 追分(おいわけ)(翠峰)
    おいわけ
  • 立鷹(梅峰)
    たつたか

歴史

横貫公路の歴史は、日本統治時代の五箇年理蕃計画中国語版により、1914年の太魯閣戦争中国語版(太魯閣戦役[10])の進攻に際して[11]道路を開削したことに始まる[12]。その後、太魯閣族(タロコ族[13])や賽徳克族(セデック族[14])に対する理蕃道路として[15]1933-1935年、霧社より合歓山を経て、天祥、太魯閣、花蓮を結ぶ「合歓越嶺道路」(合歓越嶺古道)[16]全長約105キロメートルが建設された[15]

霧社から合歓埡口(大禹嶺)までの経路は、現在の霧社支線(台14甲線)に該当し、合歓埡口から太魯閣に向かう経路は、中部横貫公路本線の大禹嶺からの東部区間にあたる。また、中部横貫公路の西部区間の大部分は、1922年に建設された梨山から西に向かう「大甲渓警備道路[16]」(大甲渓古道)全長約62キロメートルと重なる[17]

1937年日中戦争が勃発すると、資源を補うために1940年、立霧渓の水力発電の設営に太魯閣族の狩猟や連絡の小道を開削・拡張した[18][19]。東勢 - 明治(谷関)間は1943年より1945年にかけて補修され、明治 - 達見(徳基)間は1943年に着工、翌1944年に完成している[20]。また、金の採鉱による太魯閣の産金道路の建設に掘削を進め[21]自動車道の一部が合流点まで完成した後、1945年8月に終戦となる[8]

開通

太魯閣牌楼中国語版

戦後、退役軍人の収容とともに東部の発展促進と山地資源の開発のため東西を結ぶ横貫公路の建設が提起され[22]1955年(民国44年)に「横貫公路開発委員会」が開設された[8]。当時、台湾には国民党政府の台湾移転とともに多数の国民党軍兵士が移って来ていたが、彼らが退役年齢を迎えるに連れその行き場が問題となっていた[23]。同年のうちに調査隊が編成され[22]、翌1956年(民国45年)7月初旬に全線の測量が完了すると[8]、同7月7日、横貫公路の建設に着手した[22]。工事は、退役軍人を主力に1万人を超える(約1万1900人[24])人力を要した一大事業であった[8]

建設中、落石・土砂崩れなどによる人身事故で死傷者は3,500人にのぼった[23]。とくに殉職した212名[22]を弔うため、1958年(民国47年)、長春祠中国語版が建立された[25]。完成までに225名(226名[5])が亡くなるなか、1960年(民国49年)4月29日に建設が完了し[26]、翌5月9日、3年9か月18日を経て[2]、台湾初の横貫公路が正式に開通した[24][27]

観光バス転落事故中国語版
1986年(民国75年)10月8日、中部横貫公路の谷関において、観光バスが大型トラックとの衝突により渓谷に転落し、42名が死亡、3名が負傷する大事故が発生し、台湾の観光バス事故のうち最大の死者数となる[28][29]

災害

中部横貫公路の建設以来、豪雨による地すべりが知られるが[30]、1999年(民国88年)9月21日に発生した921大地震の甚大な被害により[31]、谷関 - 徳基の区間が遮断され[1]、さらに2004年(民国93年)の台風7号(蒲公英、ミンドゥル)の影響で修復区間が再び崩壊し[32][33]、梨山に至る谷関(上谷関)から徳基までが長期通行止めとなった[34][35]

2011年(民国100年)[36]、梨山の住民や現地就労者らの通行のための迂回路が設けられ、その後「中横便道」(台8臨37線)として整備されていった[2]。一般車両は通行禁止であったが、2018年(民国107年)11月16日には、台8臨37線を利用したバスの正規運行が開始された[37]。それに伴い、迂回路として武嶺を越える霧社支線を通り、台中の豊原と梨山を結んだ長距離バスは廃止された[38]

交通部公路総局は、台8臨37線の安全性の向上ならびに本線の谷関・梨山間の回復を推進するとともに、2023年(民国112年)、脆弱な区間の路線強化を策定し、国家発展委員会に提出した[39]

2024年4月3日花蓮地震により9か所で落石や土砂崩れが発生。一時通行止めとなった[40][41]

脚注

  1. ^ a b 陳進發、錢伯冠、黃金巨、吳瑞龍. “921集集大地震 - 中橫公路谷關 - 德基段 搶修及復建規畫專題報告”. 臺灣公路工程・交通部公路局. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e 鑿穿中央山脈的 - 條路 - 東西橫貫公路”. 中央通訊社 國家文化記憶計畫. 遷臺黄金十年. 文化部 (2019年8月7日). 2023年6月18日閲覧。
  3. ^ 2023年1月工事による交通規制のお知らせ - 台8線中横公路、台九線。”. 太魯閣國家公園. お知らせ (2022年12月29日). 2023年6月25日閲覧。
  4. ^ 蘇花道今昔”. 太魯閣國家公園 (2020年9月4日). 2023年6月25日閲覧。
  5. ^ a b 台湾の絶景 太魯閣渓谷を行く」『CNN』CNN.co.jp、2016年8月7日、1-2面。2023年6月25日閲覧。
  6. ^ 大禹嶺”. 太魯閣國家公園. 観光スポット (2021年10月17日). 2023年6月25日閲覧。
  7. ^ 日本交通公社 (1989)、263頁
  8. ^ a b c d e 山徑百年”. 太魯閣國家公園 (2020年9月4日). 2023年6月18日閲覧。
  9. ^ 日本交通公社 (1989)、262-263頁
  10. ^ 莊天賜. “太魯閣戰役的總頭目 - 哈鹿閣納威” (PDF). 臺灣學通訊 (國立臺灣圖書館) 82: 12-13. ISSN 1999-1851. https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/4711954428.pdf 2023年6月25日閲覧。. 
  11. ^ 文化と史跡”. 太魯閣國家公園 (2021年10月27日). 2023年6月25日閲覧。
  12. ^ 前 (2007)、3-4頁
  13. ^ タロコ(太魯閣族)”. 台湾原住民族との交流会. FTIP. 2023年6月25日閲覧。
  14. ^ セデック(賽徳克族)”. 台湾原住民族との交流会. FTIP. 2023年6月25日閲覧。
  15. ^ a b 合歡越嶺古道”. 尋路.循路 臺灣原住民族古道空間資訊網. 古道探尋. 原住民族委員會原住民族文化發展中心 (2021年). 2023年6月25日閲覧。
  16. ^ a b 鄭安睎. “從探險到築路: 側記合歡越嶺道路的開鑿” (PDF). 臺灣學通訊 (國立臺灣圖書館) 82: 20-21. ISSN 1999-1851. https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/47119555539.pdf 2023年6月25日閲覧。. 
  17. ^ 大甲溪古道”. 尋路.循路 臺灣原住民族古道空間資訊網. 古道探尋. 原住民族委員會原住民族文化發展中心 (2021年). 2023年6月18日閲覧。
  18. ^ 歴史文化探索の旅”. 太魯閣國家公園 (2021年10月27日). 2023年6月25日閲覧。
  19. ^ 神秘的砂卡礑”. 臺灣國家公園 數位典藏主題網. 太魯閣國家公園. 內政部營建署. 2023年6月25日閲覧。
  20. ^ 林 (1997)、42頁
  21. ^ 太魯閣產金道路最難關工事難以用言語形容的大斷崖-錐麓間1.7公里由吉村組開鑿”. 國家文化記憶庫. 找素材. 文化部. 2023年6月25日閲覧。
  22. ^ a b c d 檔案瑰寶: 鬼斧神工的中橫公路”. 檔案樂活情報. 國家發展委員會檔案管理局 (2016年3月16日). 2023年6月25日閲覧。
  23. ^ a b 映像の世紀バタフライエフェクト 激動 アジアの隣人たち 台湾130年の傷痕”. NHK. 2025年7月27日閲覧。
  24. ^ a b “1960年5月9日中橫通車! 台灣首條東西部公路系統就此貫通!”. 中央廣播電臺. 民報. (2019年5月9日). https://www.rti.org.tw/news/view/id/2020204 2023年6月25日閲覧。 
  25. ^ 長春祠”. 太魯閣國家公園. 観光スポット (2021年10月17日). 2023年6月25日閲覧。
  26. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「safetaiwan」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  27. ^ 典藏中橫的故事,向老工程司致敬,公路總局守護中橫用路安全”. 交通安全入口網. 交通新聞. 交通部道路交通安全督導委員會 (2020年5月15日). 2023年6月25日閲覧。
  28. ^ “【國五翻車33死】30年前遊覽車在谷關墜河42死、3傷 台灣最嚴重公路事故”. 上報. (2017年2月14日). https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=24&SerialNo=12160 2023年6月25日閲覧。 
  29. ^ “蘇花公路遊覽車撞山壁重大事故 勾起多件傷心往事”. 今日新聞. 中央社. (2021年3月17日). https://www.nownews.com/news/5213745 2023年6月25日閲覧。 
  30. ^ 宜保清一、陳信雄、江頭和彦、林義隆、周亜明「台湾, 中部横貫公路地すべり土の残留および回復強度特性」『地すべり』第34巻第2号、日本地すべり学会、1997年、50-56頁、doi:10.3313/jls1964.34.2_50ISSN 0285-29262024年3月14日閲覧 
  31. ^ 李永展. “中橫的神話 該落幕了”. 環境資訊中心. 2023年6月25日閲覧。
  32. ^ 陳淑娥 (2019年9月19日). “中橫斷路20年 修復或休養拉鋸中”. 工商時報. https://ctee.com.tw/livenews/ch/chinatimes/20190919002247-260405 2023年6月25日閲覧。 
  33. ^ 王文吉 (2020年10月14日). “中橫復建省道拋三方案 梨山人支持長隧道”. 中時新聞網. オリジナルの2023年3月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230507065740/https://www.chinatimes.com/realtimenews/20201014003448-260421 2023年6月25日閲覧。  {{cite news}}: |archive-date=|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2023年5月7日) (説明)
  34. ^ 張明慧 (2010年2月7日). “上谷關德基段 梨山人可通行”. 聯合新聞網 地方新聞. オリジナルの2010年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100211000538/http://udn.com/NEWS/DOMESTIC/DOM4/5412606.shtml 2023年6月25日閲覧。 
  35. ^ 張明慧 (2010年1月31日). “中橫搶通喊卡 梨山決議抗爭”. 洪水管理監視同盟. 2014年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  36. ^ 陳秋雲 (2011年10月31日). “久違了! 中橫公路「有條件」悄悄通車”. 聯合新聞網 國内要聞. オリジナルの2011年11月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111101181921/http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NATS5/6686198.shtml 2023年6月25日閲覧。 
  37. ^ 洪敬浤 (2018年11月16日). “中橫公車通車 上梨山只要1.5小時、最多60元”. 聯合新聞網. オリジナルの2019年4月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181120135959/https://udn.com/news/story/7325/3483859 2023年6月25日閲覧。  {{cite news}}: |archive-date=|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2018年11月20日) (説明)
  38. ^ 豊原客運6506路線、標高3,275mを走る迂回ルート廃止」『Taiwan Today』2018年11月8日。2023年8月23日閲覧。
  39. ^ 楊丞彧 (2023年4月1日). “中斷近24年! 中橫復建更近一步 已送國發會審查”. 自由時報. https://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/4257997 2023年6月25日閲覧。 
  40. ^ 「中部横貫公路」7日の片側通行開始、10日の改善復旧めざす”. ラジオ台湾 RTI (2024年4月5日). 2024年7月14日閲覧。
  41. ^ 「世界で最も危険な道路」が崩落してしまった… 経済への影響「計り知れない」 地震でさらに危険さを増す”. 乗りものニュース (2024年7月14日). 2024年7月14日閲覧。

参考文献

関連資料

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中部横貫公路」の関連用語

中部横貫公路のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中部横貫公路のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中部横貫公路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS