中川昭一会長時代
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2007年(平成19年)12月4日 衆参両院の59議員を賛同者として発足。 12月7日 櫻井よしこを講師に招き、初の勉強会を開催。 12月17日 名称が「真・保守政策研究会」に決定。 12月19日 藤原正彦を講師に招き、2回目の勉強会を国会内で開催。谷垣派を除く党内8派閥、及び無所属から衆参合計77人の国会議員が参加。 2008年(平成20年)2月15日 人権擁護法案反対の観点から勉強会を開催。講師として招かれた百地章は、同法案を「憲法違反」と断じ、危険性を訴えた。また、首相辞任後の表立った活動を控えていた安倍が、初めて出席。 3月19日 国会内で、東シナ海のガス田に関する勉強会を開催。講師として平松茂雄が招かれた[要出典]。 9月 2008年自由民主党総裁選挙では、全員が麻生支持で固まったわけでないが(例えば、メンバーである石破茂が独自に出馬した)、麻生当選の原動力となり、麻生内閣が発足(同月24日)。 12月20日 韓国企業による土地の買収が進んでいるとされた対馬を視察。平沼赳夫を始めとする11人の国会議員。 2009年(平成21年)8月30日 第45回衆議院議員総選挙で民主党が第一党になり、自民党が結党以来初めて第二党に転落。中川も落選。所属議員の半数近くが落選し、2009年9月の時点での参加国会議員は、衆参合わせて45名となる。 10月3日 中川が急死。 10月27日 安倍を会長に内定(安倍を会長にする人事は、中川が落選直後に希望していたといい、中川の遺志を継ぐことを重視したものである)。
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