世俗権力と教会勢力の不均衡とは? わかりやすく解説

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世俗権力と教会勢力の不均衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)

ロシア正教会の歴史」の記事における「世俗権力と教会勢力の不均衡」の解説

一定の政治的手腕有していたボリス・ゴドゥノフであったが、その治世3年間も続く飢饉などに見舞われ安定しなかった。ボリス・ゴドゥノフの死の前後より、ロシア後継者巡って大動乱時代迎える。 カトリック国のポーランド介入して来るに及び(ロシア・ポーランド戦争モスクワポーランド占領されたが、モスクワ総主教エルモゲンゲルモゲン)はモスクワ占領したポーランド人祝福与えるのを拒んだポーランドにより獄中繋がれモスクワ総主教エルモゲンは、混乱していたロシア回状出し正教信仰守護国土解放呼びかけた。ロシアではニジニ・ノヴゴロド中心に国民軍編成されポーランドからモスクワ解放された。 その後モスクワツァーリ選ばれたのはミハイル・ロマノフであったロマノフ朝がここに創始されるが、16歳ミハイル・ロマノフおとなし人物であり、実権貴族たちによる全国会議握られていた。ツァーリ権力抑制するという貴族達の意図働いた人選であった。 このミハイル・ロマノフの父であったロストフ府主教フィラレート俗名フョードル・ロマノフ)がエルモゲン総主教後継として1619年モスクワ総主教着座すると(在任永眠する1633年まで)、フィラレート精力的に軍制改革を含むさまざまな世俗面での政治改革行いボリス・ゴドゥノフ死後喪われていたモスクワ大公国国土回復に力を注いだミハイル・ロマノフ自身政務への意欲少なさにも一因のあったこの総主教による政治は、東ローマ帝国ビザンチン帝国)とその正教会理念であった世俗権力教会調和としてのビザンティン・ハーモニー善しとする後代正教会関係者から批判されるのである。 「ビザンティン・ハーモニー」も参照 貴族たちによるツァーリ権力抑制、そして総主教フィラレートによる統治みられるように、17世紀前半には未だツァーリ権力それほど絶対的なものではなかったとも言えよう。ただしこうしたビザンティン・ハーモニー破壊教会世俗権力への介入政教相互不可侵性を否定した面も有しており、世俗による教会への介入という逆もまた然りとする政治力学を否定するのを難しくする結果招来した

※この「世俗権力と教会勢力の不均衡」の解説は、「ロシア正教会の歴史」の解説の一部です。
「世俗権力と教会勢力の不均衡」を含む「ロシア正教会の歴史」の記事については、「ロシア正教会の歴史」の概要を参照ください。

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