与野党党首として一龍対決の本格化
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「一龍戦争」の記事における「与野党党首として一龍対決の本格化」の解説
1995年阪神大震災や地下鉄サリン事件で対応にもたついた村山内閣の与党が統一地方選挙・参議院選挙で敗北すると、9月の自民党総裁選で橋本通産大臣が新総裁に選出され、12月新進党党首選で小沢幹事長が新党首にそれぞれ選出された。 1996年1月村山首相が退陣すると、首班指名で橋本総裁(衆288、参158)が、小沢党首(衆168、参69)を押さえて首相に選出され、橋本内閣が発足。3月、与野党大激突となった住専処理法案を巡って新進党はピケ戦術を張るなど抵抗する。最終的に橋本-小沢両党首を中心とする「一龍会談」を行い事態打開を協議、翌4月住専法案が成立する。 また、小沢が金融特別委員会にて加藤紘一自民幹事長のヤミ献金問題による証人喚問を要求すると、与党は創価学会池田大作名誉会長の証人喚問を要求するなど半ば泥仕合の様相を見せ、結局加藤幹事長ならび創価学会秋谷栄之助会長(宗教法人特別委員会)の参考人招致で合意した。10月衆院選で新進党小沢党首は一気に政権奪取に動くが、自民党橋本総裁(首相)は、『新進党は、創価学会に支配されている』や『新進党=創価学会』など新進党や創価学会のネガティブキャンペーンをはり、結果は自民党は善戦し政権維持、新進党は現有議席割れの敗北であった。
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