与野党の候補一本化と政党の離合集散
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「1997年大韓民国大統領選挙」の記事における「与野党の候補一本化と政党の離合集散」の解説
与党新韓国党が李会昌前代表を、新政治国民会議は金大中、自民連が金鍾泌とそれぞれ、有力候補が出そろったが、李会昌の支持率がダントツで、与党の候補者に指名された時点では当選確実とまで言われていた。しかし、息子2人の兵役逃れ疑惑が発覚したことで、李会昌候補の支持率は急落し、にわかに混戦模様となった。 この状況を受けて、新韓国党の党内選挙で敗れた李仁済が、9月17日に京畿道知事を辞任して離党と選挙出馬を宣言し、11月4日には国民新党を結成して同党の大統領選の候補となった。当時ソウル市長であった趙淳も9月8日に市長を辞任し、同月11日、第3野党である民主党の候補に選ばれた。 これで大統領選挙は、与党代表の李会昌、3野党の各総裁である金大中(国民会議)、金鍾泌(自民連)、趙淳(民主党)、そして李仁済(国民新党)の有力候補5人による混戦模様となった。しかし、選挙戦の過程で行われた世論調査の結果、金鍾泌候補と趙淳候補は当選の可能性がないことが明らかになったため、他陣営との連携が焦点になった。金鍾泌候補は、次期政権でかねてからの持論である議院内閣制へ改憲すること等を条件に国民会議の金大中総裁との候補一本化に正式に合意した(11月3日)。 一方、趙淳候補も、李会昌候補と李仁済候補との間で政治的交渉を行い、11月7日に李会昌候補への一本化と党合併に合意し、同月21日には合併新党であるハンナラ党を結成した。 こうして、韓国の第15代韓国大統領選挙は、事実上、ハンナラ党の李会昌候補(62歳)、国民会議の金大中候補(71歳)、国民新党の李仁済候補(48歳)の有力3候補の戦いとなった。
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