与野党の候補一本化と政党の離合集散とは? わかりやすく解説

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与野党の候補一本化と政党の離合集散

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:48 UTC 版)

1997年大韓民国大統領選挙」の記事における「与野党の候補一本化と政党の離合集散」の解説

与党新韓国党李会昌前代表を、新政治国民会議金大中自民連金鍾泌それぞれ、有力候補が出そろったが、李会昌支持率ダントツで、与党候補者指名され時点では当選確実とまで言われていた。しかし、息子2人兵役逃れ疑惑発覚したことで、李会昌候補支持率急落しにわかに混戦模様となった。 この状況受けて新韓国党党内選挙敗れた李仁済が、9月17日京畿道知事辞任して離党選挙出馬宣言し11月4日には国民新党結成して同党の大統領選候補となった当時ソウル市長であった趙淳9月8日市長辞任し同月11日第3野党である民主党候補選ばれた。 これで大統領選挙は、与党代表の李会昌、3野党の各総裁である金大中国民会議)、金鍾泌自民連)、趙淳民主党)、そして李仁済国民新党)の有力候補5人による混戦模様となった。しかし、選挙戦過程行われた世論調査の結果金鍾泌候補趙淳候補当選可能性がないことが明らかになったため、他陣営との連携焦点になった金鍾泌候補は、次期政権かねてから持論である議院内閣制改憲すること等を条件国民会議金大中総裁との候補一本化正式に合意した11月3日)。 一方趙淳候補も、李会昌候補李仁済候補との間で政治的交渉行い11月7日李会昌候補への一本化と党合併合意し同月21日には合併新党であるハンナラ党結成した。 こうして、韓国第15代韓国大統領選挙は、事実上ハンナラ党李会昌候補62歳)、国民会議金大中候補71歳)、国民新党李仁済候補48歳)の有力3候補戦いとなった

※この「与野党の候補一本化と政党の離合集散」の解説は、「1997年大韓民国大統領選挙」の解説の一部です。
「与野党の候補一本化と政党の離合集散」を含む「1997年大韓民国大統領選挙」の記事については、「1997年大韓民国大統領選挙」の概要を参照ください。

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