不凍港と南下政策とは? わかりやすく解説

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不凍港と南下政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:30 UTC 版)

南下政策」の記事における「不凍港と南下政策」の解説

ロシア南下政策最大目的は、年間通して凍結することのない「不凍港」の獲得だった。 18世紀以降海洋進出乗り出したロシア広大な面積有するものの、ユーラシア大陸北部偏って存在するため、国土大部分高緯度位置し黒海日本海沿岸ムルマンスク地区カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)なお、カリーニングラード州ロシアとなったのは第二次世界大戦後のことである。等を除き冬季には多く港湾結氷する。そのため、政治経済上ないし軍事戦略上、不凍港獲得国家的な宿願一つとなっており、歴史的に幾度となく南下政策推進してきた。 ロシア国土は、冬が長く寒冷多雪などといった現象もたらし一部除けば農業生産は必ずしも高くない。ここでは高い密度人口支えることが困難であり、人々よりよい環境求めて未開発周辺地域移ろう努める。なかでも、より温暖な南方土地求め願望には根深いものがある。一方ロシア人概して政治的権力による統制極度に嫌うアナーキーな傾向をもち、このようなロシア人気質はこうした膨張主義助長している。ロシア人々国家からの介入を嫌い、辺境へ、権力外側へと向かおうとするのであるが、権力の側もむしろこれを利用して人々苦労して入植し開墾した土地に後から追いつき、その政治力軍事力用いて労せず入手するということ繰り返されてきた。これは、第三者からみれば、官民一体南進運動あるかのように映りそれゆえロシア国外人々からすれば強い警戒感免れないものであった人口においても資源において西欧諸国とは比較ならない大国ロシア不凍港獲得し本格的に海洋進出始めることに対して西欧諸国地政学見地から並々ならぬ脅威感じロシア南下政策阻止することに非常な努力注ぎ、この衝突19世紀欧州史における大きなとなった

※この「不凍港と南下政策」の解説は、「南下政策」の解説の一部です。
「不凍港と南下政策」を含む「南下政策」の記事については、「南下政策」の概要を参照ください。

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