下村努
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下村 努(しもむら つとむ、1964年10月23日[1] - )は、物理学者、コンピュータセキュリティの専門家。アメリカのカリフォルニア州在住[2]。ケビン・ミトニックの逮捕に協力した[3][4]。アメリカ国籍[5]。
注釈
- ^ 『テイクダウン』上巻110-113頁によると、下村は学校の成績は伸び悩み、合格点を得た科目はその後出席しなくなるなど、学校に疎まれる行動が多かった。また「テロリスト」と呼ばれしばしば停学処分をされる友人とは仲良くしており、彼のひどい悪戯による備品破壊行為を教師が下村のやったことと決めつけることもあった。下村が3年生の時、両親宛に学校から3通の手紙が届いた。そのうちの2通は下村が数学と物理の地元コンテストで勝ったことを、1通はプリンストン・ハイスクールから放校となったことを伝える通知だったという。
- ^ 『読売新聞』1995年2月28日付「孤独だった最強ハッカー…」の記事によると、ミトニックはインターネット経由で下村にボイスメールを送り、殺害をほのめかすこともあった。しかしミトニックにはロサンゼルス生まれでありながらイギリス人のようなアクセントで話す特徴があったため、下村は声のその特徴から相手がミトニックだと気付いたという。
- ^ 『ニューズウィーク日本版』1995年3月8日号の記事「大物ハッカーが逮捕されるまで」(54頁)では事件の経緯を以下のとおり説明している。1994年12月25日、デル・マー(カリフォルニア州サンディエゴ郡)の自宅にある下村のコンピュータに、何者かがシカゴ(イリノイ州)に所在するコンピュータを遠隔操作し、インターネット経由で侵入。ファイルやソフトウェアを多数盗む。その1ヶ月後、侵入者がWELLのホストコンピュータ内にそれらのファイルを隠匿していたのが発見される。下村や他の専門家はWELL本部においてこの侵入者の接続状況を監視するうち、相手がミトニックではないかと気付いた。侵入者が、デンバー(コロラド州)、ミネアポリス(ミネソタ州)、ローリー(ノースカロライナ州)の3箇所から、サンノゼ(カリフォルニア州)のネットコム・コミュニケーションズのホストコンピュータに電話をかけてインターネットに接続しているのが判明し、下村らはネットコムに移動して引き続き監視を続けた。そして下村らと、2年がかりでミトニックを追っていたFBIは、電話会社の通話記録と侵入者の動きを照合し、ミトニックがローリーの電話会社の交換所から接続していると判断した。下村は、通信関係の技術者の運転する車で市内を回り、携帯用パソコンと周波数探知アンテナを使ってミトニックの使用する携帯モデムを捜索、発見した。なお、『ニュートン』1995年9月号の記事「マニアック・ハッカーを追え」(54頁)では、下村がミトニックの捜索に成功したポイントを2点挙げている。まず1点は、WELLのコンピュータ内にあった「コンピューター・自由・プライバシー会議 (CFP)」のアカウントに下村を所有者とする巨大なファイルがあるという通知がちょうど会議主催者に届き、主催者が下村に連絡したことである。そのファイルこそミトニックが下村から盗み、WELLに侵入して隠した物だった。そのため下村はWELLに出向き、ミトニックが監視に気付かず繰り返しWELLに侵入し操作する様子をリアルタイムで見ることができ、ミトニックがWELLの他にサンノゼにある同種のサービス会社・インターネックスも標的にしているのも知ることができた。そしてもう1点は、サンフランシスコ連邦検察官補佐が電話会社の保管する記録の開示命令を出したことである。
- ^ 『FBIが恐れた伝説のハッカー』下巻284頁による。この『ニューズウィーク』はおそらく英語版であろう。ただし『ニューズウィーク日本版』1995年3月8日号の「未来を動かす40人」の記事に下村が「ネットワーク刑事」として紹介されている。
- ^ 日本語題『FBIが恐れた伝説のハッカー』。ジョナサン・リットマン著、東江一紀訳、草思社、1996年、上巻:ISBN 978-4794207265、下巻:ISBN 978-4794207272。
出典
- ^ a b 『テイクダウン』上巻97頁。
- ^ a b c d e f 「「ノーベル化学賞」下村名誉教授の「息子」は父親より有名だった」『週刊新潮』2008年10月23日号、57-58頁。
- ^ a b c 大野和基 (1995年3月9日). “「史上最悪のハッカー」を追いつめた日本人”. 2014年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 「米で「史上最悪」のハッカー逮捕 防御プロの挑戦が裏目 日本人青年怒りの追跡」『読売新聞』、1995年2月18日、東京朝刊4頁。
- ^ Tsutomu Shimomura
- ^ 『テイクダウン』上巻98頁。
- ^ 『テイクダウン』上巻110頁。
- ^ 『テイクダウン』上巻100-101頁。
- ^ 『テイクダウン』上巻107頁。
- ^ 『テイクダウン』上巻108-109頁。
- ^ 『テイクダウン』上巻114頁。
- ^ 『テイクダウン』上巻125-130頁。
- ^ “益川さん「終わった」ノーベル賞3人、舞踏会は不参加/ストックホルム”. 読売新聞東京夕刊: p. 23. (2008年12月11日)(写真・解説あり)
- ^ ケイト・ハフナー「マニアック・ハッカーを追え」『Newton』1995年9月号、52頁
- ^ 「孤独だった最強ハッカー 日本人プロ、執念の逮捕 「おまえを殺す」大胆挑戦状」『読売新聞』1995年2月28日、大阪夕刊3頁。
- ^ a b 『FBIが恐れた伝説のハッカー』下巻283頁。
- ^ マイケル・マイヤー「凶悪犯か「作られた怪物」か」『ニューズウィーク日本版』1995年12月20日号、50-51頁。
- ^ “asahi.com(朝日新聞社):「化学賞は意外」「クラゲ85万匹採取」下村さん語る - ノーベル賞”. 朝日新聞 (2008年10月8日). 2008年12月26日閲覧。
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