ミトニック逮捕に協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:42 UTC 版)
1995年、コンピュータージャーナリストのジョン・マーコフ(英語版)とともに、ケビン・ミトニックの逮捕に協力したことで、下村はアメリカ、日本をはじめ世界にその名を知られることとなる。 当時から下村はアメリカでもトップクラスのセキュリティ専門家であった。日本国籍でありながら、有名企業、空軍、国家安全保障会議等から協力を求められていた。連邦捜査局(以下「FBI」と表記)が下村を知ったのは、ミトニック逮捕の数年前に、サンディエゴ・スーパーコンピュータ・センターがFBIに調査依頼をした際であった。以後下村はFBIにも助言することとなった。ミトニックは下村に対抗すべく、1994年末頃、下村の自宅のコンピュータからプログラムを盗んだ上に彼を愚弄するメッセージを残した。追跡を開始した下村は、1995年2月13日、ローリー市の空港近くのアパートにミトニックが潜伏していることを突き止めた。下村と共に張り込みを続けていたFBIがミトニックを逮捕したのは2月15日未明である。同日中にローリー市連邦地裁において人定質問が行われると、ミトニックは初対面の下村を見やり「君の技術に脱帽した」という趣旨の言葉をかけたという。 ミトニック逮捕の報は『ニューヨーク・タイムズ』をはじめ全米のマスコミが大きく取り上げた。下村の元へは世界中から約600件の取材の申し込みが押し寄せたという。『ニューズウィーク』誌は「サイバースペースで最も影響力を持つ50人」のリストに下村を挙げた。また、この事件の経緯が、ジョン・マーコフと下村の共著による書籍『Takedown』(日本語題『テイクダウン』)にまとめられ発刊された。書籍の海外での翻訳権は日本をはじめヨーロッパ各国、ブラジル、台湾で買われた。さらに書籍は映画化され、日本では『ザ・ハッカー』の題でDVD等が販売された。これらの出版社、映画会社が下村らに支払ったのは200万ドルと推定されている。
※この「ミトニック逮捕に協力」の解説は、「下村努」の解説の一部です。
「ミトニック逮捕に協力」を含む「下村努」の記事については、「下村努」の概要を参照ください。
- ミトニック逮捕に協力のページへのリンク