上海人の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:42 UTC 版)
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 1930年代、上海にモダンブームが起き、チャイナドレス(旗袍)に該当する衣服はこの時期に生まれた。 上海市最大の繁華街『南京路』(1930年代) 上海の原住民は松江周辺に居住していた。元の時代には上海県ができた。1840年のアヘン戦争以後経済が急速に発展し、近隣の地方から次々に移民が入ってきた。現在の上海人の8割以上は、北の江蘇省と南の浙江省からの移民である。特に江蘇省長江の南部と浙江省北部の江南からの出身者が上海人の半分以上を占める。これが上海の文化にも大きな影響を与えている。上海語は寧波市・蘇州市と上海本地語の集合である。商売に長けた江蘇人と政治に敏感な浙江人が近代上海の歴史を作ってきた。 近年、日本も長江デルタに進出、蘇州市・無錫市に工場が建てられている。部品調達、製品流通販売のため、港町の上海に事務所や子会社を設けるケースが多い。今、上海に常駐する日本人は約4万8,000人と、上海にいる外国人のなかで最も多い。上海と、隣接する江蘇・浙江を加えると、出張と観光あわせて10万人近い日本人がいるといわれる。海外一の規模の日本人コミュニティーも形成されている。 上海は、中国で経済的に最も豊かな地方であるため、上海人はねたみもあってか、他地域では嫌われていることが多いとの意見がある。上海人のステレオタイプとして、横暴で傲慢、わがままというものがある。
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