上海事変と停戦調印とは? わかりやすく解説

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上海事変と停戦調印

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 04:31 UTC 版)

白川義則」の記事における「上海事変と停戦調印」の解説

陸軍大臣退任した白川は再び軍事参議官親補され、1932年昭和7年1月18日第一次上海事変が起こると、上海派遣軍司令官親補されて出征する同年2月25日親補式において、白川昭和天皇から「条約尊重列国協調、速かに事件解決等」を指示され、さらに 「上海から十九路軍を撃退したら、決し長追いてはならない3月3日国際連盟総会までに何とか停戦してほしい。私はこれまで幾度か裏切られた。お前なら守ってくれるであろう思っている。」 と親し言葉賜った。これを聞いた白川は、はらはらと涙を流したという。白川はこの天皇信頼応え同年3月3日上海から十九路軍を一掃する停戦命令出し参謀本部から追撃指令受けても、司令官権限をもって停戦断行したスイスジュネーブ行われていた国際連盟総会では、この白川行動評価する声が上がり日本危険視する国際社会険悪な空気好転した陸軍白川対し激昂したが、天皇は「本当に白川はよくやった」と喜んだという。その後も、白川果断な処置続き、軍参謀第一線指揮官南京進撃論を退け同年5月5日停戦の正式調印行なわれることが決定された。

※この「上海事変と停戦調印」の解説は、「白川義則」の解説の一部です。
「上海事変と停戦調印」を含む「白川義則」の記事については、「白川義則」の概要を参照ください。

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